GINZA CONNECTIVE VOL.5 茂登山 長市郎×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.5 茂登山 長市郎×高嶋 ちさ子

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、ヨーロッパの一流ブランドをいち早く日本に紹介した「サンモトヤマ」の代表取締役会長、茂登山長市郎さんです。

天津租界で目にした美しい品物にいたく感動したんです。

茂登山長市郎さん写真
高嶋ちさ子さん・茂登山長市郎さん写真
高嶋さん 
「サンモトヤマ」という店名にはどのような由来があるのでしょうか?
茂登山さん
実家は日本橋でメリヤス(ニット製品)の問屋をしていました。屋号はサンメリヤス。現在の会社名はここからの由来と、「太陽のように輝いていたい」、との思いが込められています。
当時は、日本橋は問屋の街、銀座は小売りの街として有名だったんですよ。
高嶋さん 
家業はお継ぎにならなかったのですか?
茂登山さん
ええ。自分で外国の好きなものを仕入れて、それをお客さまに売りたいと思っていました。私は太平洋戦争で中国に従軍していたんですが、そのとき天津租界で目にした、見たこともないような美しい品物にいたく感動したんです。これらを日本に紹介したい、外国の文化を売りたいと思いました。
高嶋さん 
それが現在のルーツなのですね。
茂登山さん
ええ。復員後、有楽町駅前の小さなお店でアメリカの製品を扱うお店を始めたんです。時計、万年筆、ライターや、またシャツ、ネクタイなど、当時の日本ではまだまだ珍しいものばかりでしたね。仕入れても次々と商品が売れていく、そんな時代でした。
高嶋さん 
そうだったのですか。ちょっと意外です。
茂登山さん
そんな時に、当時日本を代表する報道写真家であった名取洋之助さんから、「アメリカのものは歴史も伝統もない。本当に美しいものを売りたいなら、ヨーロッパへ行け」と言われたんです。
名取さんといえば、戦前からドイツで活躍されていた方で、日本人で初めて『LIFE』の表紙を飾った人です。そんな方がすすめるくらいだから、絶対に行かなくちゃという気持ちになりました。そして1959年に、ようやく欧州に行くことができたんです。
サンモトヤマ 銀座本店店内 写真 サンモトヤマ 銀座本店店内 写真

サンモトヤマ 銀座本店店内。洋服や装飾品、家具など、世界中から集められた様々な商品が並ぶ。

人生というのは、「運」と「縁」。

高嶋ちさ子さん写真
茂登山長市郎さん写真
高嶋さん 
初めて訪れたヨーロッパはどのような印象でしたか?
茂登山さん
とにかく素晴らしかった。その時は名取さんのアドバイスに従って、〝まず美術館や教会を見ること、そして一流ホテルに宿泊し、最高のレストランに行くこと〟だけが目的でした。「見るもの全て欲しくなるだろうけれど、最初から何も買うな」と言われていたんですが、名取さんの狙いは、彼らのライフスタイルを肌で感じろということだったんでしょう。
高嶋さん 
では、そのときには何も買い付けされなかったのですか?
茂登山さん
そうです。名取さんのアドバイスがなかったら大変なことになっていましたよ(笑)。そして3回目の渡航のとき、フィレンツェで出合ったのが『グッチ』だったんです。ショーウインドウの前で足が止まりました。それまで目にしたことのない商品ばっかり陳列されていたんです。当時日本にはなかった革製品が本当に素晴らしくて。これだと閃きました。
高嶋さん 
グッチを初めて日本に紹介されたのは茂登山さんだと伺っていますが、交渉はスムーズだったのですか?
茂登山さん
いやいや。世界中からわざわざお客さまが来るから、輸出なんて考えてなかったブランドです。何度か足を運びましたが相手にされませんでしたよ。
高嶋さん 
でも諦めなかったのですね。
茂登山さん
絶対にこの商品をうちのショーケースに並べるんだと思っていましたから。めげずに訪れた何回目かのお店訪問のとき、偶然グッチの社長さんがお店にいらしたんです。それで社長自ら商品の説明をしてくれているときに、銀で作られたシガレットケースを差し出して見せてくれたんです。とっさに私は胸元からポケットチーフを取り出し、それを受け取り、指紋をきれいにふき取りながら戻しました。名取さんから銀製品は素手で触れてはいけないと聞いていたからです。それを見た社長が「君は物の価値がわかる人だ。君と取り引きをしよう」と言ってくれたんです。
高嶋さん 
運命的な出会いだったのですね。
茂登山さん
私は、人生というのは、運と縁だと思っているんですよ。
グッチとの契約に成功し、オリンピックの年、1964年に日比谷の三信ビルから今の並木通りに本店を移転しました。お店にはグッチ、エルメス、ロエベ、バカラ、ラリックなど、一流ブランドが一堂に並びました。当時、一流の海外ブランドだけを扱うお店というのは、銀座でも日本でも初めてだったんではないでしょうか。

〝商人〟というのは、〝飽きさせない〟ことが大切。

高嶋さん 
話は変わりますが、茂登山さんは現在おいくつでいらっしゃいますか?
茂登山さん
昨年の11月で90歳になりました。
高嶋さん 
ええ!? 本当にお若いですね。
茂登山さん
いやいや、そんなことないよ(笑)。でも、今でも毎日お店には顔を出しているんですよ。
もちろん接客もします。
高嶋さん 
そうなのですか!?
茂登山さん
やっぱり〝商人(あきんど)〟というのは、お客さまを〝飽きさせない〟、そして自分も〝あきない〟ことが大切ですから。売り場に出て、実際にお客さまとお話することでヒントをたくさんいただきますよ。
高嶋さん 
審美眼を養うために、何か心がけていることはありますか?
茂登山さん
実はね、私は携帯電話を持っていないんです。今の人たちは、どこでも携帯電話の画面ばっかり見ているでしょう? 私はやっぱり自分の足で歩いて、自分の目で見て、街の空気を感じたいんです。ハッとするようなショーウインドウに出合うと、つい足を止めて見とれてしまうことも多いですね。
人間、大切なのは直観力、ヒラメキ。いつまでも忘れたくないですね。
茂登山長市郎さん・高嶋ちさ子さん写真 茂登山長市郎さん写真

銀座は〝世界の銀座〟なんです。

高嶋さん 
若い人たちが茂登山さんのような本物を見抜く力をつけるには、何が大切でしょうか?
茂登山さん
若いときから高級ブランド品を身に着ける必要はないと思います。今銀座には、ファストファッションと呼ばれるお店がたくさん出店していますよね。高級な銀座のイメージを損なうのでは、と心配される方もいらっしゃるようですが、個人的には良いことだと思っているんです。そこへ行けば全身3万円くらいでコーディネートできるでしょう? そうやって、個性が輝く着こなしをどんどん勉強して、自分自身のテイストを見つけることが大切だと思います。
一昔前は、若い女性がみんな同じ高級ブランドの小物などを自慢して持っていた時代もありましたよね。
でも今は違う。同じものが恰好悪いと思う時代なんです。
高嶋さん 
より個性を大事にすべきだということですね。
茂登山さん
そうです。自分のカラーを作らないとダメですね。そして同時に銀座は、ラグジュアリーなブランドも軒を並べる街です。若い人たちも気軽にウインドーショッピングできる。自然と本当にいい物を見極める力が養われると思います。こうして将来の銀座の礎を作る若者が増えていってくれればいいと思っています。
高嶋さん 
今後、銀座はどのようになっていくと思われますか?
茂登山さん
羽田空港が国際化したことで、これから銀座への観光客もどんどん増え、グローバル化が進んでいくと思います。銀座はおいしい食事や買い物ができ、ホテルもあるし、ちょっと足をのばせば劇場もある。こんなに楽しみが詰まっている街は他にはないと思います。
加えて、銀座は治安もよく、街並みも美しい。ロンドンのボンド・ストリート、パリのフォーブル・サントノーレに匹敵する、そんな街が銀座だと思います。銀座はもはや〝世界の銀座〟なんです。

次回のゲストは……?

高嶋さん 
次回のゲストをご紹介いただけますか?
茂登山さん
日本三大料亭に数えられる「新ばし・金田中」の若女将 岡副徳子さんです。大正時代から新橋の花柳界を守り続ける名店の、素敵なお話が聞けると思いますよ。
茂登山長市郎さん・高嶋ちさ子さん写真

高嶋 ちさ子

バイオリニスト。6歳からバイオリンを始め、海外で活躍後、日本に本拠地を移し、全国各地でコンサートを行っている。現在は、演奏活動を中心としながらも、テレビやラジオ番組の出演などでそのキャラクターが評価され、活動の場はさらに広がりを見せている。

高嶋ちさ子オフィシャルウェブサイト

茂登山 長市郎

株式会社サンモトヤマ代表取締役会長。1921年生まれ。日本に初めてグッチやエルメスなどの一流ブランドを紹介し、ファッションブランドビジネスの立役者として内外に知られた存在である。
著書に「江戸っ子長さんの舶来屋一代記」(集英社刊)が発売中。

「サンモトヤマ」ウェブサイト

取材・文:岡井美絹子  取材場所:サンモトヤマ 銀座本店

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