インタビュー

進取の気性と編集力がまちを創る―銀座の文化DNA
伊藤明委員長(左)と吉本光宏さん(右)

Amazing Ginza! Talk No.2

進取の気性と編集力がまちを創る―銀座の文化DNA

開催まで10カ月を切った東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)。近頃、「オリンピック・パラリンピック文化プログラム」という言葉を見聞きしますが、どのようなものなのでしょうか。そこで、各国の文化プログラムに詳しく、大会組織委員会や東京都の文化プログラムを推進するニッセイ基礎研究所の吉本光宏さんをお迎えし、全銀座会催事委員会委員長の伊藤明がインタビュー。東京2020大会に向けて、銀座ならではの文化的なアクションについて語り合いました。

オリンピック・パラリンピックの「文化プログラム」とは

伊藤
実は私、前回の東京オリンピックの1964年に生まれたんです。小さい頃は「世の中が僕の誕生を祝って新幹線を通してくれた」とか「首都高を通してくれた」なんて言っていました(笑)
吉本
私は、東京タワーを作ってもらった1958年生まれなんですが(笑)、前の東京オリンピックは小学校1年生ぐらいで、母に連れられて地元徳島の聖火リレーで日の丸を振ったことを鮮明に覚えていますね。
伊藤
ところで、オリンピック文化プログラムって、オリンピックの一部なんですか?
吉本
オリンピックの一部で、公式の行事です。
伊藤
吉本さんの講演録によると、文化プログラムは1912年ストックホルム大会で「芸術競技」として始まって、1952年ヘルシンキ大会から「芸術展示」、1992年バルセロナ大会で「芸術祭」に変わって、北京、ロンドン、リオと変遷してきたんですね。開催国が何をやるか考えるんですか?
吉本
オリンピック憲章に文化プログラムの開催が記載されていて、100年以上前からオリンピックの公式事業の1つとして実施されてきました。内容は基本的にホスト側に任されていて開催都市が独自に考えます。1964年の東京大会では、日本の誇る日本最高の芸術を世界中に紹介するという方針を打ち出しました。東京2020大会の文化プログラムも、日本文化を発信するものが多いですね。
伊藤
今日たまたま聴いたラジオは「日本にはこういうことがあると外国人にアピールできたらいいですね」という話ばかりで。でも、外国から来るお客さんが、果たしてそこまで日本の特殊性を喜ぶかなあ。食べものはわかりますけどね。
吉本
インバウンド(訪日外国人旅行)を意識しているんでしょうね。でも、競技大会が来日目的の観光客は全国各地の文化プログラムには来ないでしょうから、インバウンドより自分の地域のためにやらないと何も後に残らない。大事なのは、そのまちに生きていく誇りやまちの文化・伝統の再発見、継承です。

東京2020大会に銀座ならではの試みを

吉本
銀座も東京大会の時にちょっと新しいことにチャレンジして、銀座ならではの文化をつくっていけるといいですね。
伊藤
銀座は何ができるか、銀座の役割は何かずっと考えています。銀座はもともと、物作りの職人さんと商人の町である日本橋があって、各所から集めたものを売る市場として隣にできたんです。自分たちがものをつくり出すより、自分たちで集めたところから何かをつくるのが銀座。何代か銀座にいて、特にまちづくりに関わるわれわれは何となく空気感ではわかっていますが、外から見ると銀座ってどんな文化があるんでしょうか?
吉本
ぜひ紹介したい逸話があるんです。以前調査で話を聞いたNYのメトロポリタン歌劇場チーフ・ライブラリアンのロバート・サザーランドさんは、オーケストラの楽譜をセットする際いろいろ書き込みをするそうで、「僕が使っているのは日本の鉛筆なんだよ」と。見せてくれた鉛筆にITOYAの刻印がありました。東京国際フォーラムを設計した建築家のラファエル・ビニョリさんは、20色くらいのボールペンを自慢して、「これすごいでしょう、伊東屋で買ったんだ。あそこはすばらしい。東京ではいつも行くんだ」と言うんです。伊東屋に行くとなかなか帰ってこないのでスタッフは困るそうですが(笑)。そういうところに、伊東屋さんをはじめとする銀座のお店の底力を感じます。個々のお店のブランドが、銀座ならではの文化をも購入者にもたらしているんですね。
伊藤
なるほど、個々のお店が銀座の文化をつくっていると。
吉本
「銀座は集めてきて売る市場」という話でいえば、集めることにも、ある種の編集というか独自の価値観が必要ですよね。
伊藤
そこは銀座の大きな強みです。自分たちが誰に対して何で商売するかという編集力。「日本橋で認められなかった人たちが新しくつくった銀座」には、新しいもの、海外のものをなんとしても入れるという気質がありました。子どもの頃に親からよく聞いた言葉は「舶来」と「ハイカラ」。舶来のハイカラなものが銀座のDNAではないかと思います。
吉本
ロンドン2012大会の文化プログラムのスローガンは「Once in a lifetime」、一生に一度のすてきな文化的体験を、というものでした。文化プログラムのクライマックス「London 2012 Festival」をキュレーションした芸術監督のルース・マッケンジーさんの方針には、「オリンピックでもなければできないような実験的なもの」「普段は規制でできないところで何かチャレンジする」というものがありました。
伊藤
できるできないは別として、銀座でやりたいのは通りを使ったイベントです。大きな櫓を組む盆踊りや、競技を終えた選手たちが夜に楽しめる市場ができたらいいねと。でも交通と安全の担保が非常に難しい。銀座は中央通りが国道、晴海通りが都道、細い道は区道と、管轄が複雑です。交通と物流の要衝でもあるから、イベントは許可が下りにくいんです。さらには、東京大会の警備は警察だけでは人手不足なので、まちに警備の要請がきています。これまでのマラソン等でも道案内はまちの人間の仕事だと思ってやってきましたが、今度は警備。これではイベントができません…。
吉本
いろいろ制限が多いご苦労をうかがって話しにくいんですが、銀座中央通りでできたらと思いついたことがあるんです。オリンピックでは公式スポンサーの権利を守るために、聖火リレーやマラソンの時に他の企業名やロゴがテレビに映り込まないようにします。それを逆手にとってG2020(GINZA2020)マークのシートで看板を覆ってしまうというアイディアです。それと期間中はどの店もG2020マークの包装紙とリボンで商品を包むとか、1万円以上買った人にG2020ピンバッチを贈るなど。銀座はG2020マークを使った独自のおもてなしで東京2020大会を盛り上げるのはいかがでしょう。バナーなど、いろいろ展開できます。

銀座の強み、銀座の文化

吉本
今東京はものすごい勢いで開発が進んでいますが、銀座って高層ビルがないですね。タワーマンションもない。この銀座通りの空間は、銀座の資産、価値です。
伊藤
本当にそうですね。建造物の高さは56mまでという「銀座ルール」があります。その上に10 mまで看板等を造作できるんですが、自分は銀座のまちを守るため56m以上は絶対つくらないと決めて、建て替え時は56mで止めました。隣のビルのレストランの窓からお客さんが見る景色も考えました。みんなが隣を知っていて、隣を気遣いながらやっていくのがまちだと思うんです。
吉本
そこまで配慮されているんですね。
伊藤
先ほどの建物ラッピングは、高所作業車のコストや道路使用許可を考えると現実には難しく、ロゴはCGで直してもらうしかないなあ(笑)。オリンピックの関係で区の補助金制度が変わって、いま資金調達も難しいんです。
吉本
オリンピックって、スポンサーの権利保護や、世界平和を標榜していても国同士メダルを競い合うとか、メダルの数は結局経済力に比例するとか、いろいろ矛盾を抱えています。でもそういう矛盾のなかで余計に文化プログラムが大事なんですよね。平和をテーマにした展覧会などの意味は大きいです。
もし大変なら、オリンピックだからといって特別なことは一切やらないという選択肢もありだと思います。極端にいうと、オリンピックが来ても来なくても銀座は銀座。今までもこれからも。それを示すために何をやるかを考えるほうが、ひょっとしたらその先々に続くかもしれないし、銀座らしい気もします。
伊藤
それはありますね。オリンピックだからとフラフラするのは得策ではない。大会期間中の銀座を安全にきちんと警備するのも、それはそれでレガシーになるし、みんなが気持ちを1つにするいい機会です。確かに看板をラッピングしないまでも、G2020マークの包装紙やリボン、買い物袋を銀座で統一することはできますよね。
吉本
G2020のブランドで新しい銀座をつくるために何ができるか、銀座の1店1店に考えてもらうのも銀座らしいですね。銀座にたくさんあるギャラリーとも何かできそうです。今日伺ったハツコ エンドウさんによると、人種が違うと髪質も肌質もまったく違うから、東京2020大会に備えてしっかり勉強する必要があるそうです。でも結果的に「期間中100カ国のお客様にハツコ エンドウのサービスを提供しました」といえますよね。各店のサービスやビジネスのなかで、オリンピックの時だからできることを考える。そのメニューを銀座全体でみると、実に豊かなバリエーションがある。開発した新しい商品やサービスで2021年以降も銀座がグレードアップする。そんな方向性はどうでしょうか。
伊藤
いいですねえ。全銀座会G2020では「各店に国を割り当てて、それぞれ何かをする」という案も出ました。オリンピックに参加する国ってもう決まっているんですか?
吉本
200以上の国・地域って言われていますね。
伊藤
200以上の国・地域の言語が仮に100あるとして、銀座の店が100の言葉でウェルカムを言えるようにする。店頭にシールを貼った国の言葉でウェルカムを言うのでもいいし、200あまりの国旗で包装紙をデザインしてもいいですね。いろんな国の人たちが来てくれることがうれしいと表せますよね。
吉本
派手なイベントじゃなくても、国際交流的なこともいいですね。長野五輪の教育プログラム「一校一国運動」は、レガシーとなって以降のオリンピックに受け継がれました。当時、チェコを応援した子どもが、その時の経験から外交官になったりしているそうですよ。銀座のお店も、たとえばアフリカの小さい国を応援するとなったら、その国の文化を学びますよね。
伊藤
銀座の博品館は、昔「帝国博品館勧工場」といって、海外の万博後にその国の産物を売ったりする百貨店として始まったそうです。海外の新しいものを紹介する、ハイカラで舶来品が好きという銀座のDNAをもっとうまく使うのはありだと思います。

「銀座的なるもの」の探求

吉本
銀座は、銀座という空間の中に存在する1つひとつのお店、その集合体のまち全体が生み出す「銀座的なるもの」をレガシーとして残して、それが2024年大会を開催するパリやシャンゼリゼ通りにもつながるといいですね。「オリンピック憲章」では、「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの」という根本原則があるんですよ。
伊藤
生き方の創造を探求するもの?
吉本
スポーツ、文化、教育を通じて新しい生き方を探求するのがオリンピズムだという理念です。文化がいかに社会や生活に根付いているかを探求することは、その理念と合致します。銀座のなかにある文化、「銀座的なるもの」は必ずあるはずです。それを各店で探求してもらって、「銀座的なるもの」ってこういうものだと新しいチャレンジにつなげる。それが2021年以降にも続くといいですね。
伊藤
都や区からの指示ではなく個々の店が何かやるのは銀座らしいです。次の開催国フランスは下からの市民革命の国だし、親しみを感じてもらえそう(笑)。うまくいっても、いかなくても、レガシーとしてパリにつなげます。課題も教訓として。小さな店が集まる銀座は民主的に下から―いや民主的すぎて大変なんですが(笑)、「銀座らしい編集」をしたいです。今日は勉強になりました。ありがとうございました。
吉本
1964年のレガシーは新幹線や高速道路のようなハードでしたが、銀座2020はソフトレガシーですね。今日はとても楽しかったです。

(2019年6月20日 銀座伊東屋にて)

対談者プロフィール

吉本光宏(よしもと・みつひろ)

吉本光宏(よしもと・みつひろ)ニッセイ基礎研究所 研究理事・芸術文化プロジェクト室長

1958年徳島県生まれ。早稲田大学大学院修了後、社会工学研究所などを経て1989年から現職。東京オペラシティ、国立新美術館、いわきアリオス等の文化施設開発、東京国際フォーラムや電通新社屋のアート計画などのコンサルタントとして活躍する他、文化政策、文化施設の運営・評価、創造都市等の調査研究に取り組む。文化審議会委員、東京2020組織委員会文化・教育委員、東京芸術文化評議会評議員、企業メセナ協議会理事、東京藝術大学非常勤講師などを歴任。

伊藤 明(いとう・あきら)

伊藤 明(いとう・あきら)全銀座会催事委員会委員長/株式会社伊東屋代表取締役社長

1964年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、アートセンターカレッジオブデザイン(米国)工業デザイン学部卒業。1992年株式会社伊東屋入社、2005年代表取締役社長に就任。企業経営のかたわら、伊東屋オリジナル商品開発に携わる。2007年より銀座通連合会常任理事、2009年全銀座会催事委員会委員長に就任。

  • 撮影 : 鈴木穣蔵
  • 構成・文 : 若林朋子
  • 企画・調整 : 永井真未、竹沢えり子(全銀座会G2020)、森 隆一郎(全銀座会G2020アドバイザー、渚と)
  • ヘアメイク協力 : ハツコ エンドウ
  • 会場協力 : 銀座伊東屋