GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

石倉 悠吉×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.31

石倉 悠吉×高嶋 ちさ子

2014.04.01

ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんに、ゲストの方をお迎えして銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、ハンブルグステーキで有名な「つばめグリル」の代表取締役社長 石倉悠吉さんです。

つばめグリルの由来は、東京駅発の列車〝特急つばめ〟

高嶋さん
私、子供の頃からつばめグリルさんのハンバーグが大好きで、よく親に連れて行ってもらっていたんですよ。ほんとにご馳走でした。
石倉さん
ありがとうございます。
高嶋さん
まず屋号の由来についてお伺いしたいのですが、非常に面白い名前ですよね。実は、子供のとき「つばめグルリ」だと思っていたんですよ。
石倉さん
そうだったんですか(笑)。
高嶋さん
みんな私がふざけて言っているんだと思っていたみたいですけど、本当にグルリだと思っていたんですよ。でもある日よく看板を見たら、つばめグリルだったので驚きました(笑)。
石倉さん
由来はですね、国鉄時代に、〝特急つばめ〟という東海道線があったんですよ。
高嶋さん
どこを走っていたんですか?
石倉さん
東京と大阪ですね。それまではうちは新橋の駅の構内で、和菓子とか果物とか売っていたり、旅行案内所みたいなこともやっていたんですよ。まあ、当時はそんなに観光客もいなかったんですけど。その頃、欧米の駅の構内には食事ができる店があると聞いて、うちも真似してお店を始めたんです。特急つばめの話に戻りますが、新橋駅にはつばめが停車しなかったんです。そこで地元の人が特急つばめを新橋駅にも止めてほしい、という運動を始めたのがきっかけで、うちの店が〝つばめグリル〟と名付けられたんです。
高嶋さん
それが1930年のことですか?
石倉さん
本当はそれより前にお店はやっていたらしいですが、記録がないんですよ。なので、つばめグリルと命名された1930年を創業の年、ということにしています。
高嶋さん
今年で創業84年ということになりますね。看板メニューのハンブルグステーキができたのはいつのことですか?
石倉さん
昭和49年(1974年)ですね。その頃、なにか目玉になるようなメニューを作りたいということで生まれたんです。
高嶋さん
あのアルミホイルに包まれたスタイルを最初に考案されたのは、つばめグリルさんですよね?
石倉さん
ええ、そうです。おかげさまで今でも人気メニューです。

お客様にウソをつきたくない、正直でありたい

高嶋さん
飲食店を経営する上でこだわっていらっしゃることはありますか?
石倉さん
正直であることです。洋食って素材なんですよ。素材を選んでセオリーを守って丁寧に作ればおいしくなるんです。
高嶋さん
今、本当に食の安全というのはデリケートな問題ですよね。
石倉さん
実はね、私が店を継いだ昭和20年のこのお店なんて、つぶれかかっていたんです。
高嶋さん
そうだったんですか!?
石倉さん
だから、老舗が羨ましかったわけです。当時、今の銀座連合会の会長の谷澤さん(『銀座タニザワ』取締役社長)のお祖父様がよくお昼にいらしてくれて、いろいろお話をして下さったんですよ。そしたら笑いながら「老舗っていってもね、特別なことをしている訳じゃないよ。仲間に恥ずかしくない商売を重ねて行ったのが銀座だよ」って言われたんです。
高嶋さん
なるほど~。
石倉さん
そう考えると、その頃店で作っているのは完成されたものじゃなかった。その象徴がソース。実はソースって1番お金がかかるんです。もちろん科学調味料で味つけすればコストもかからず作れるんですけど、私は使いたくない、ウソをつきたくないという思いがありました。その結果、今があるんでしょうね。
高嶋さん
そういう意味でも、銀座という場所で商売をなさるのはすごくハードルが高いですけど、お客様にとっては安心ですよね。
石倉さん
銀座という街には、わかって下さるお客様が1番多いんじゃないかな。真面目にやっていればわかって下さるのはうれしいですね。

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