GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

鈴木 真×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.42

鈴木 真×高嶋 ちさ子

2015.04.01

ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんに、ゲストの方をお迎えして銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、明治から続く「資生堂パーラー」の代表取締役社長、鈴木真さんです。

洋風調剤薬局の一角でソーダ水を出したのが資生堂パーラーのはじまりです。

高嶋さん
実は私、銀座好きの祖母に連れられて、小さい頃から資生堂パーラーさんへはよく来ているんですよ。先日も、12人のヴァイオリニストのひとりがソロデビューしたので、そのお祝いで利用させていただきました。
鈴木さん
それは、いつもありがとうございます。
高嶋さん
資生堂パーラーさんは女性の憧れの場所ですもんね。ところで、明治創業だと伺っていますが、どんな歴史があるんですか?
鈴木さん
もともとは洋風調剤薬局でした。1900年に創業者・福原有信が、パリ万博へ行って、その帰りにアメリカのドラッグストアでソーダ水を販売しているのを見たのがきっかけで。明治35(1902)年に調剤薬局の一角でソーダ水、それとアイスクリームの製造と販売をスタートしたのが、はじまりです。
高嶋さん
ほお! 当時では、さぞかしモダンだったでしょうね。
鈴木さん
当時このあたりは、置屋さんがたくさんあって、芸者さんたちが旦那衆を連れてよく来ていたそうです。25銭でソーダ水を飲むと25銭のオイデルミンという化粧水がもらえるということでも話題になったんです。
高嶋さん
先見の明がある方だったんですね。
鈴木さん
常に新しい事にチャレンジする精神がある人だったと思います。当時では珍しく、コップやスプーン、ストローなども、全部アメリカから持ってきたんですよ。海外の本物、質の高いものをみんなにふるまおうという気持ちで溢れていました。

1902年頃 資生堂薬局の店内。
右端にはソーダファウンテン(ソーダ水製造機)が。

文豪たちにも愛された憧れのレストラン。6月には最上階に「Bar S」が誕生。

高嶋さん
それにしても、資生堂パーラーさんは、高嶺の花というイメージが昔からありますよね。私は子どもの頃から来ているので、正直そんなイメージはなかったんですが、まわりはみんなそう言っています。
鈴木さん
凛としている場所だとお褒めいただいたり、ここへ来ると背筋が伸びると言っていただいたりしてありがたいです。とはいえ、うちの4〜5階のレストランはお子さま連れも大歓迎なんですよ。中には、子どものころ親御さんと一緒に、今ではお孫さんを連れて利用してくださるお客さまもいらっしゃいます。
高嶋さん
素晴らしいですね。知名度がここまで高い理由には、小説家の方たちの影響もありますよね。川端康成さんとか森鴎外さんとか、昔の小説にも出てきていますし。
鈴木さん
はい、ありがたいことに。みんなが憧れる場所で食事をし、そのことを書くというのがステイタスだと思ってくださっていたのかも知れません。近年では、池波正太郎さんにもよく来ていただいていました。
高嶋さん
好きなメニューも人によって決まっていますよね。私はいつも牛肉のピラフを頼みますが、友達は帆立貝のカレーがお気に入りです。
鈴木さん
創業当時から出しているメニューも人気ですね。みなさん、決まったメニューを頼んで、シェアされる方も多いです。
高嶋さん
現在、このビルは全部が資生堂さんなんですか?
鈴木さん
はい。1階がショップ、3階はカフェ、4~5階と10階はレストランです。最上階は現在、おしゃれな大人たちが集うバーに改装中。女性にも気軽に来ていただけるバーにする予定です。
高嶋さん
鈴木さんの隠れ家ではなく、女性でも使いやすいバーなんですね(笑)
鈴木さん
はい(笑)。お酒が飲めない方も雰囲気を楽しめる空間にしますので、高嶋さんもぜひいらしてくださいね。
高嶋さん
はい、ぜひ。

4 / 5階のレストランフロア

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