銀ぶら百年

パイプとつやふきんの佐々木

Ginza×銀ぶら百年 Vol.12

銀ぶら百年 ~イズミ式銀座街並細見~

パイプとつやふきんの佐々木

2016.11.25

泉 麻人

 銀座通りを京橋のほうへ歩いているとき、いつも1丁目の佐々木商店のパイプを描いた突き出し看板を目にとめて、ホッとした気分になる。
シンボルの看板
シンボルの看板
 すぐ向こう(北隣)は数年前に出現した「キラリトギンザ」のショッピングビル、手前の伊勢伊も新しいビルに建て替わったが、間の佐々木商店だけ小ぢんまりした間口の背の低い建物でがんばっている。看板のとおり、いまはパイプ販売を中心にしたタバコ屋が主体のようだが、古くは薬や輸入化粧品を扱っていた所で、創業はなんと明治の元年。同じ屋号(佐々木商店)のまま、ほぼ同位置で明治期から営業を続けている商店というのは、銀座でも少なくなった。
 入ってすぐ右側の壁に、さまざまなパイプがまるで図鑑のようにきちんと陳列されている。パイプは取材がてら、2、3度ばかり試したことがあるだけで、知識はうといのだけれど、意外な国が名産地なのだ。
ずらり並んだパイプ
ずらり並んだパイプ
「ほとんどデンマーク製なんですよ。ただし材料に使うブライヤーという木の根っこは、地中海のコルシカ島が産地でして……」
 女主人・佐々木治代さんと立ち話をしている間にも、外国人の観光客が1、2人……パイプや洋モクを物色しに入ってくる。とりわけ、中国人が多いという。
「店頭に灰皿を出していたんですけど、中国の方たちが吸うタバコの煙がものすごいんで、やめたんですよ」
 治代さん、近くの中国人観光客を横目に小声で説明してくれた。
 この店、喫煙具ばかりでなく、古くからなかなかユニークなものを扱っている所で、昭和初めの銀ぶらブームのころの案内書にもよく取りあげられている。たとえば、松崎天民の『銀座』(昭和2年刊)の巻末に載った、銀座通りの名店解説にはこうある。
「ポンピアンの佐々木の方が此頃では通りがよいくらいポンピアン會社製品の香水はじめ化粧用品が銀座えやって来る美しい若い人々に大歓迎されておりますナレドつやふきんも依然と盛んに賣れております。」
 順に説明すると、ポンピアン――これは現在のP&G(プロクター&ギャンブル)社の前身にあたるアメリカの化粧品メーカーで、マッサージクリームや香水が大正から昭和の戦前にかけて店の看板商品になっていた。
昔も今も美白は永遠のテーマ
昔も今も美白は永遠のテーマ
「関東大震災で店が焼けたとき、ポンピアンの会社から当時の5万円くらいの義援金が出て、3階建のビルを新築したと聞きます。」
 という話だから、時代的にみておそらく銀ぶらするモガさんたちに愛好されていたのだろう。
 ちなみに、今回お話をうかがった治代さんは店の6代目・康之氏のご夫人で、昭和43年に嫁がれた、というから、ちょうど都電が廃止された直後のころだ。ポンピアンはもう店で扱われていなかったが、戦後の一時期代理店業務を引き継いだハリウッド化粧品の美容室が2階に置かれていたという。
 2階といえば、先の松崎天民が『銀座』の取材をした昭和初め、撞球(ビリヤード)場があって、人気を呼んでいたらしい。
「一年中 愉快な所 よい氣分!
 それはいづれでありませう?
 ポンピアンの佐々木商店 撞球部で御座います」
 なんて軽い調子のコピーを記した広告が、『銀座』に掲載されている。
「そういえば主人の父がビリヤード好きで、旅先のホテルにあると必ずやっていたんですよ」
 と、治代さんにうかがったが、これはやはり店に撞球部のあった影響なのかもしれない。
 ちなみに当時の店の地下には喫茶室があって、ソーダ水やアイスクリームが評判だったという。
 明治元年に始まった佐々木商店、創業者は薬種を生業(なりわい)としてた佐々木玄兵衛という男だが、その後おもしろい人物が店を仕切っていた時期もある。
「二代目は貿易も始め渡米して活躍したが夭折、役者が嫌になって番頭になっていた先々代大谷友右衛門が後を継ぎ、貿易の傍ら喫茶部を開き米国風新形式で資生堂の向うを張った。」(岩動景爾・東京風物名物誌)
 松崎の『銀座』にも、大谷友右衛門の名が挙げられているが、言わずと知れた江戸中期に始まる歌舞伎役者の名跡である。松崎本には“亀太郎”の本名も出ていたのでちょっと調べてみたが、友右衛門の家元というだけで、襲名まではしていない人物だろう。どうやらこの梨園出の男が喫茶や撞球コーナーを置いて、店を派手にしたようだ。
 残念ながら、大谷氏や喫茶、撞球部の関係資料は残されていないようだが、もう少し古い、明治のころの貴重な資料が保存されている。<引幕図案見本帳>と称するそれは、歌舞伎座などで公演をする役者に贈呈する、引幕に入れる広告図案を集めた帳面で、佐々木商店が都心の薬屋関係の元締めを務めていた。実際の幕に描きこむ前の、いわばラフスケッチ段階の広告図案だが、デザインやコピー、色づかいなどに時代の趣が感じられる。
引幕図案帳に描かれたさまざまな広告
引幕図案帳に描かれたさまざまな広告
 有名な所では津村順天堂の「中将湯」や小林商店の「ライオンはみがき」……なかに「市川團蔵  贈引幕原稿……」などと役者の名を筆書きした用紙も見られる。ふと思ったが、こういう歌舞伎界とのつながりがあったからこそ、大谷のような男が店に入ってきたのかもしれない。そんな広告図案帳に、佐々木商店のものもいくつかあるけれど、その多くに<つやふきん>とか<つやふきん本舗>と銘打たれている。
 話が後回しになったけれど、この<つやふきん>という明治以来の伝統商品は、パイプやタバコを陳列した先の棚に置かれて、いまもひっそりと売られている。一見、ダスキンのような黄色いふきんだが、古風な紙パッケージが巻かれ、昔ながらの文体の解説書きが添えられている。
「銀座一丁目『佐々木のつやふきん』と申せば誰方様も昔から御存じの艶出しふきんで御座います……」なんて調子で始まって、以下効果のある家具の諸々が提示される。
「箪笥、茶箪笥、床の間、違ひ棚、机、琴、三味線、楽器、其他黒檀、朱檀、埋木や総ての唐木細工の品々等此のつやふきんに依ってぴかぴかと心地よい光りを増します。真鍮製や銅鉄製の器物もつやふきんで拭へば錆止めの作用をいたし何にかと御便利で御座います。」
 読むうちに昔の日本家屋の生活風景が浮かびあがってくるようだが、要するに木造の品物のツヤ出しに効くふきんなのだ。
 パッケージに<池之端 宝丹>の名が記されているが、ここはいまも上野不忍池畔の一角で営業する1680年創業の老舗の薬屋(守田宝丹)であり、この薬舗と共同開発したつやふきんには独特のワックスが使われているのだ。木製品をピカピカにするこのワックス、化学材ではなく、とある昆虫が作り出す蠟(ロウ)。
 植木の枝につくカイガラムシという小さな貝殻状の虫をご存じだろうか? その一種、イボタロウカイガラムシのオスの幼虫がイボタの木枝に分泌する蠟を木綿布に浸みこませているらしい。虫嫌いの人はエッ! と思われるかもしれないが、このイボタの蠟は趣のある和ロウソクの原材料でもある。
 近ごろは銀座のビルの屋上で東京産のハチミツも製造されているようだが、このつやふきんも、まさにエコロジーな銀座名物といえるだろう。
 そうか、通はここのパイプをつやふきんで磨くのかもね……。

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