銀ぶら百年

よし田コロッケそば伝説

Ginza×銀ぶら百年 Vol.13

銀ぶら百年 ~イズミ式銀座街並細見~

よし田コロッケそば伝説

2017.03.24

泉 麻人

 銀座でなにか軽く腹に入れたいとき、「よし田」に立ち寄ることがよくある。銀座で「よし田」といえば、そば屋であることはいうまでもないけれど、僕が行くようになったのはせいぜい15年かそこら前のことで、きっかけは新聞で連載していた食のコラムだった。B級グルメやローカルフード……ちょっとおもしろいメニューを紹介するそのコラムでここの名物の「コロッケそば」を取りあげたのだ。よくある立ち食い店のコロッケそばとはまるで違った素材、食感に感動、以来ファンになってしまった。
「しっかりとした長ネギが散りばめられて、その中心にコロッケというより、丸いつみれのようなものが浮かんでいる。口に運んでみると、これはやはり駅そばのコロッケのようにボソッと形くずれすることはなく、身がしっかり詰まったつみれや豆腐ハンバーグの食感に近い。」(『なぞ食探偵』・中公文庫)
 と、当時著書に表現しているが、この独特のコロッケは「スジと皮を除いた鶏肉をミンチにして、とろろと卵でつないで軽く揚げる」と、そのとき店主からうかがった。
 冬場の「牡蛎そば」や夜の鍋を目当てに訪れる客も多いけれど、ずっとあたりまえのように7丁目の金春通り(すずらん通りの延長)にあった店が2年ほど前、突然消えてしまったときには多くのファンがショックを受けた。そして、1年ほどのブランクを置いて西銀座通りの1本西寄りの数寄屋通り、料理屋「三亀」のビルの2階に復活した。今回はここで(もちろん「コロッケそば」を食べてから)、女主人の矢島一代さんに店の歴史や逸話をうかがう運びになった。
これがコロッケそばだ
これがコロッケそばだ
 新生の「そば所 よし田」、ビルの2階だが、見上げるとガラス窓に昔ながらの意匠を入れた包装紙の模様が描かれている。店内は以前よりゆったりとしたレイアウトになった感があるが、壁に掲示された品書きはほぼ変わっていない。ざる、もり、コロッケそば、牡蛎そば……そして、もうひとつの裏名物とされる「巣ごもり」も健在。これ、同行のT編集長がウマそうに食べていたが、揚げたそばにあんかけがまぶされた、いわばカタヤキソバの日本そばヴァージョン。いまの4代目店主・矢島伸生氏が修業時代に池の端 藪蕎麦で習ってきたものらしい。
酒のあてにもなる巣ごもりそば
酒のあてにもなる巣ごもりそば
こちらも名物、ふわふわの玉子焼き
こちらも名物、ふわふわの玉子焼き
 さて、伸生氏の母親にあたる一代さんは、「天皇陛下と同い年なんですよ、わたしが4ヵ月上」とおっしゃっているから御年83歳、ということだろうが、お若い! そもそも「よし田」は浜町で始まって、のれん分けして銀座に来たのが明治28年。屋号の源は元禄時代の茶人・吉田自習軒という。
「銀座の店の創業者は須原甲(すはらきね)子って人でして、上京した父と母は甲子さんのもとで働いて、そのうち店を任せられるようになったんです」
 ひとり娘の一代さんは7丁目の店で昭和の初めに生まれて、店上の2階でずっと暮らしてきた。以前取材した泰明小学校に通っていたらしい。子供のころの遊び場は「松坂屋」という、真の都会っ子なのだ。すると、いまの店のあたりは通学路ってことになるのではないか……。
「そう、当時の校医さんがこのすぐ隣くらいに住んでいましたよ」と、話も生々しい。
 生々しい、といえば、前にコロッケそばの取材をしたとき、常連客の久保田万太郎氏らが2階に上がってきて、お向かいの見番に集まった芸妓の品定めをしていた……なんてエピソードをうかがった記憶がある。
 手元にある「銀座 歴史散歩地図」(草思社)に掲載された昭和12年の町会地図をよく見ると、「よし田そば」の対面に「新橋芸妓学芸講習所」というのが表記されているから、ここがターゲットだろう。昭和12年というと、久保田氏らが芸妓を覗き見しているすぐそばに幼い一代さんがいたころかもしれない。
「久保田先生はね、だいたいいつも『もり』を注文されるんだけど、ざるそばのノリ嫌いなんだよ……なんて、わざわざまどろっこしいことをおっしゃるんですよ。そのクセ、うちで詠んでもらった句にこんなのが残っています。『年の瀬やそばにかけたる海苔の艶』なんていうの」
 数々の作家の随筆に「よし田」の名は見かけるが、映画で印象に残っているのが『都会の横顔』(監督・清水宏)という昭和28年の東宝映画(もちろん、後年の再映で知った作品だ)。銀座で迷子になった幼女をサンドイッチマンの池部良と靴磨きをする有馬稲子が探してやる……という単純なストーリーなのだが、復興した銀座の街のPRがからんでいるらしく、実在の店が次々に登場するのが興味をそそる。幼女がオシッコをしに入った甘味処の「若松」に森繁久彌がいたり、エッフェル塔型看板の出た「コロンバン」向かいの神戸銀行の前に伴淳三郎の易者が出ていたり、そんな劇中で有馬稲子が顔見知りの靴磨き少年にこんな呼びかけをする。
「これ(仕上がった靴)届けてくれたら、帰りによし田のコロッケそば、おごってあげるよ」
 店自体は出てこないが、昭和28年にしてコロッケそばが有名だったことがよくわかる。
常連だった三津五郎丈の八十助時代の隈取
常連だった三津五郎丈の八十助時代の隈取
 ところで、この映画の主演である池部良さんのエッセイ「ビステキ」の話を以前、レストランの「オリンピック」の回で引用したけれど、それが収録された本『江戸っ子の倅』(幻戯書房)のなかに、「蕎麦屋よし田」という一篇が納められている(初出は「銀座百点」)。初めて「よし田」に行ったのは昭和21年に復員した十年後(あるいはもっと()っている)とあるから、先の映画のころは知らなかったのかもしれないが、昔の店のたたずまいがユニークに描写されている。
「三階建て木造の店は不精髭を生やした爺さんのように見えた。格子の表戸を開けると、なんの変哲もない壁と天井に囲まれて、これまた変哲なしの実用最優先的な四人掛けの四角い木のテーブルが六脚ほどあったように記憶している。」
 このあと、小座敷の説明があって、そこにいつも一人で来ている、“能舞台で用いる般若の面を胡麻油に(ひた)して溶かした”ような顔をした紳士というのが、話の終盤で吉田健一と明かされる。先代のおかみが勧めるコロッケそばの話を引き取って、ちょっとひねくれた調子で池部に解説する吉田の語り口が絶妙だ。
「あたし、まだ自己紹介してませんでしたね。 あたしは吉田茂の倅で、吉田健一と言います。しがない英文学などで食って生きてます。そう、コロッケ蕎麦ね。あたしね、初めて“吉田”の暖簾を分けて入ったとき、ここにいらっしゃる白玉団子みたいなお内儀さんもまだ若くて……(中略)このお内儀さんが釜場に向かって『コロッケ一丁』とどなりましたら、間髪を入れずと申しますかな、あたしが椅子を引いたと同時に、目の前に丸型のコロッケなるものをのせたかけ蕎麦が現れました。あたし熱いものは平気なんで一口啜りコロッケを一口がぶりと食いついて驚きました。驚き桃の木山椒の木、猫はニャンニャン犬ワンワン」
 実際吉田は多少酔っていたのか、池部が落語調に脚色したのか、コロッケそばがウマイのかマズイか……よくわからない感じで終わるのがこの話のミソ。ちなみに、ここで「白玉団子」と(さかな)にされている先代おかみ・矢島ときさんの愛らしいスナップが昭和39年8月号の「銀座百点」に掲載されている。
矢島ときさん
矢島ときさん
 ところで、もうひとつ、若き池部良にまつわる貴重なエピソードを一代さんからうかがった。
「わたし、一度シャープ兄弟のプロレス、連れてってもらったことがあったのよ、蔵前国技館。黄色いキャデラックでやってきてね、隣にミスユニバースの伊東絹子、乗っけてんの。わたしは後ろの席、つまりデートのダシにされたのよ」
 池部には妹のように可愛がられていたというが、伊東絹子が八頭身モデルとしてブレイクしたのは先の映画公開と同じ昭和28年、昭和32年には渡仏してしまう。さらに、シャープ兄弟がひんぱんに来日したのは昭和29年と昭和31年だから、池部のエッセイに従えば、昭和31年の出来事と推測されるが、ちょうど先日CSのチャンネルで『わたし(すべ)てを』という池部と伊東の共演映画をやっていた。これが昭和29年5月の公開だから、プロレス観戦はこの年かもしれない。
 もはやこういう話も時効、と思って書いてしまったけれど、それにしても黄色いキャデラックってのは派手だね。やっぱ、昔のスターはほんとうにスターなのだ。
一代さんと泉さん
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看板猫のクロチイは親戚のお宅で元気にしています
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