銀ぶら百年

テイメンと銀座アイビー時代

Ginza×銀ぶら百年 Vol.16

銀ぶら百年 ~イズミ式銀座街並細見~

テイメンと銀座アイビー時代

2018.03.23

泉 麻人

 2年前の夏、ふらりと入ったテイジンメンズショップで久しぶりにシャツを買った。シアサッカーの白い地にヨットの絵柄が細かくプリントされた半袖のシャツ。なんとなく懐かしい時代のスポーツシャツの趣が感じられて、去年の夏にもネイビーブルーの柄違いのを買って愛用している。銀座では江戸や明治創業の老舗も珍しくないけれど、この店も僕の世代にとってはじゅうぶん、“老舗”の感がある。建物のたたずまいも、僕が初めて立ち寄った70年代のころからほぼ変わっていない。今回は、そんな“テイメン”の歴史を探ってみよう。
晴海通りの現在の店構え
晴海通りの現在の店構え
 まずは、母体であるテイジン。いまや「帝人」の漢字をあてることを知らない人も増えてきているのかもしれないが、省略以内の名称は「帝国人造絹絲」といった大正7年創業の繊維メーカーなのだ。
 テイジンというと、肌着なんかの商品イメージが強かったが、銀座のテイメンが看板にしていたのはVAN(ヴァン)のシャツやブレザー……といった、いわゆるアイビールックのアイテムが中心だった。
「VANの石津謙介さんがテイジンのマーケティング部門のアドバイザーをされていた、というのが発端なんです。そもそも銀座のこの場所は、テイジンの生地のショールームだったんですが、こういう銀座の目につく場所に若い人向けのVANの店を出したら話題になる、社のイメージアップにもなるということで、1960年にオープンしたわけです」
と、現在のテイジンメンズショップを監督するテイジンアソシアリテイルの加賀谷重樹氏が経緯を教えてくれた。
 ちなみに、VANの立ちあがりは意外と早く、ブランド設立は昭和20年代末の1954年、当時はテイジンと同じ大阪に本拠を構えていたから、そういう“同郷の連帯感”があったのかもしれない。
 60年に開店した当初の店の写真を見せてもらったが、高さは3階建てで、広い窓越しに2階へ上るシャレた螺旋(らせん)状の階段が確認できる。外壁に<TEIJIN>のロゴが読みとれるが、まだ<VAN>のマークは目につかない。もっともこの当時、VANのファッションを宣伝できる雑誌媒体は、せいぜい「メンズクラブ」と「男子専科」くらいだったろう。
1960年 オープン当時の外観
1960年 オープン当時の外観
 銀座のテイメンが大きく発展するのは1964年、東京オリンピックの年だ。3階建ての店舗が、いまの8階建てビルに建て替えられるのもこの年だし、なにより「みゆき族」さらに「アイビー族」という、銀座を舞台にしたファッション・ブームが巻き起こった。そして、これらの若者風俗の震源になったのが、この年の4月末、ゴールデンウィークのころに創刊された「平凡パンチ」。そう、出版元の平凡出版(現・マガジンハウス)も地元・東銀座の出版社である。
 手元にある「平凡パンチ」64年12月28日号に<64図解式・風俗史>という特集があって、ここで当時若者風俗批評などを本領にしていた野末陳平氏が「みゆき族」について興味深い言及をしている。

「みゆき族はですね、『平凡パンチ』の表紙の影響で生まれたんですよ。短いズボン、フーテンバッグ、まったく流行とはおそろしいものです」
まいったまいった。だからオトナはいけませんや。ちょいと変わった服装すると、アイビーもみゆき族もみんな同じものと思っちゃう。まったく、無知てえのはおそろしいもの。

注意して読んでほしい。カギカッコ内は若者風俗に無知な当時のオトナの言葉であり、陳平氏はこれを否定しているのだ。文脈から察すれば、大橋歩が描いていたパンチの表紙の若者はアイビー族のほう、ということになるのだろうが、複数の風俗史に目をとおすと、その区別は多少曖昧なところもある。フーテンバッグというのは、みゆき族の定番グッズとして語られる布のズタ袋のことだろうが、当初キテレツな小物を取り入れていたみゆき族が、パンチやメンズクラブの情報を取り入れて、だんだんと洗練されたアイビー族へスライドしていった、というあたりが実態なのではないだろうか。そのアイビー化にテイメンがおおいに貢献したことは確かだろう。
 VANの本社とともにテイメン2号店が青山3丁目交差点にオープンするのもこの年のことだが、アイビーファッションは2年後の66年ごろにブームのピークを迎える。僕は小学4年生の年だが、ハヤリのベンチャーズふうエレキサウンドにのせて、あの三田明までが『アイビー東京』という歌を歌っていた。
 マニアックなアイビー・アイテムが出てくるわけではないが、「新宿 銀座 恋の街」なんて一節があって、オシャレした若者がオリンピック後の新しいスポットでデートを楽しむ光景が歌われる。サウンド的にも似た『二人の銀座』(和泉雅子・山内賢)が大ヒットしたのも同年のことだ。
 そして、この66年、銀座のテイメン2階に「スナックVAN」がオープン、アイビー族のたまり場となった。いま“スナック”というと、気さくな中高年のママがいるカラオケつき飲み屋……みたいな場所をイメージしがちだが、当時のスナックは一種のトレンド
用語であり、むしろいまどきのカフェや(ダンス)クラブに近い店だった。パープル・シャドウズの『小さなスナック』が大ヒットして俗化するのは68年のことだから、「スナックVAN」の登場は早い。
 VANの看板を掲示したこのスナックがテイメン2階にあった景色はよく(おぼ)えているのだが、結局入らないうちに消えてしまった。
 店内にビンのコカコーラの自販機が置かれていた……程度の情報はとれたが、残念ながら詳細な資料は残っていない(唯一、スナック時代のシャレた丸イスが店内に1個保存されている)。
スナックVANで使われていた椅子
スナックVANで使われていた椅子
スナックVANの外観
スナックVANの外観
 そのへんの事情についてうかがおうと、67年に入社してから40年近くテイメンの仕事に関わってきたファッションディレクター・平井剛氏に電話取材を試みた。
 73歳になるという平井氏、スナックVANに関しては「ホットドッグとかハンバーガーがあったかなぁ……」くらいの回答しか得られなかったが、往年の“商品セレクト”についての奔放なエピソードをうかがった。
「VANやKENTばかりでなく、輸入ブランドなんかも始めた70年代の初めごろのことですが、たまたまのぞいた神田の洋書屋での話です。アメリカのヨット専門誌を立ち読みしてたら、とある広告のヨットマンが()いてるデッキシューズがカッコよくてね。これがその後大当たりするトップサイダーの広告なんですよ。すぐに連絡して、当時つきあいのあったリーガルをとおして仕入れる話をまとめて、ウチの看板商品になったという」
 まだ雑誌「ポパイ」(76年創刊)なども出る以前、セレクトショップ時代の夜明けを思わせるエピソードだ。
 この取材日、僕は昨年ビームス・プラスが復刻販売した「バラクータ」G9のスイングトップ(スカイブルー色)を着用していったのだが、これを輸入販売した先駆けもテイメンなのだ。69年に取り扱いを始めて、当時はナチュラルと呼ばれるベージュとタン、ネイビーあたりが人気だった。
 そう、バラクータのスイングトップといえば、高倉健のトレードマークとしても知られる。ハッキリした証言は得られなかったが、健サンも何度か銀座テイメンを訪れたのかもしれない。
バラクータ姿の泉さん
バラクータ姿の泉さん
 そしてもう1つ、有名人に絡んだテイメンの話を。数年前、クレージーキャッツ映画のロケ地をテーマにした原稿を書くためにDVDを丹念にチェックしていたときのこと。『日本一のホラ吹き男』という作品の1シーンで、主役の植木等が並木通りの理髪店で散髪をすませて出てくる。電柱に銀座5-2の住所表示が読みとれるから晴海通りに近いあたり。
背景にちょうど建設工事中のテイメンのビルが映りこんでいる。
 冒頭で植木が『東京五輪音頭』を軽快に歌い踊るこの映画の公開は64年の6月。1、2ヵ月前の撮影としても、現在のビルが完成したのはこの年の後半のことだろう。
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