銀座たてもの探訪

銀座たてもの探訪

銀座たてもの探訪 第6回 銀座界隈ヘリテージ

今回は少し趣向を変えて〝銀座界隈ヘリテージ〟というテーマで街に残る歴史の痕跡を探してみたいと思います。銀座は、活発な街であるため、古い建物や歴史を語る遺跡的なものが残ることが非常に難しい場所です。この町の歩みを伝えるものが何かないかな、という視点で散策してみました。

宇井野
荻窪さん、この本は覚えてますか?
荻窪
銀座8丁目の「ノーブルパール」を創業された勝又さんの『銀座の柳物語』ですね。以前の「銀座いなり探訪」でずいぶん参考にさせていただきました。
「銀座の柳物語」。柳の話のみならず、銀座の歴史についても語られている。
「銀座の柳物語」。柳の話のみならず、銀座の歴史についても語られている。
宇井野
銀座の柳を復活に尽力された勝俣さん。街を心から大切にした銀座の旦那、です。さて、この本によると、銀座には井戸がいくつもあったそうなんです。昔は”水の出る場所”だったんです。銀座って海の近くですが、真水の井戸ってあったんですね
荻窪
江戸は海に近いため井戸水に海水が混ざっていて飲めなかったという話が残ってますが、銀座は江戸前島といって古くから半島状の陸地だったので真水も得られたのでしょうね。
宇井野
そこで本に掲載されているかつての井戸の情報を元に探してみたのですよ。昔のことですが、8丁目にあった天國ビルのあたりでそれらしきものを見たような記憶があったので…
荻窪
どうでした?
宇井野
残念ながら、見つかりませんでした。クリエーションギャラリーのあったリクルート8丁目ビルでは、入り口部分の植栽の水やりに湧き水を使っていた、という話も聞いたのですが、あのビルも再開発でなくなってしまいましたからねえ。
荻窪
残念!
宇井野
でも、宝童稲荷のある銀座四丁目の町会の方のお話によると並木通り沿いに、『北村透谷の井戸』と呼ばれた井戸があったそうです。ちょうどセイコーミュージアムのあたりです。
荻窪
北村透谷って明治時代の文学者ですよね。子供の頃銀座の弥左衛門町に住んでいたそうです。セイコーミュージアムの所だと、裏はちょうど宝童稲荷ですね。井戸自体はなくても、なんらかの痕跡があれば良かったのに。
宇井野
でも銀座を歩くとき、道路の地下深くに水脈があると思うと感慨深いですよね。
荻窪
今でも掘ったら水が出そうですが、さすがに飲める水かどうかは難しいかも。このあたりで歴史を感じそうなものといえば、ガス灯がありますよね。ガス灯の解説板が地面すれすれの低い場所にあって気づかない人がほとんどですが。
ガス灯通りに4基のガス灯が復刻している。解説板がガス灯の足元にあるので気づかない人が多い。
ガス灯通りに4基のガス灯が復刻している。
解説板がガス灯の足元にあるので気づかない人が多い。
宇井野
そうそう、復刻されたガス灯が4つあるんですよね。よく見ないとわからないのですが、しっかりガスで灯りが点ってます。ゆらゆらと炎が揺れているのがよくわかります。
電灯に比べると光は弱いけれども、ガス灯らしい揺らめきと暖かさがある光。
電灯に比べると光は弱いけれども、ガス灯らしい揺らめきと暖かさがある光。
荻窪
銀座の通り沿いにガスによる灯りが灯ったのは明治7年だそうです。日本最初のガス灯は横浜でしたが、東京では銀座が最初のガス灯ですね。この明治時代の錦絵に描かれているのがそうだと思います。
明治15年に出版された「鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図」(国立国会図書館デジタルコレクション蔵)。中央あたりにガス灯が描かれている。
明治15年に出版された
「鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図」(国立国会図書館デジタルコレクション蔵)。
中央あたりにガス灯が描かれている。
宇井野
夜の闇を、人工の光が押し返した瞬間ですね。
荻窪
文明開化の象徴ですね。ここから夜の街がはじまったといっても過言じゃないかも。そしてガス灯はのちに電灯に変わっていきます。実はここに銀座にはじめてアーク灯が灯されたときのレリーフが。
銀座二丁目交差点の大倉本館角に埋め込まれた「東京銀座通電気燈建設之図」のレリーフ。通り沿いには復刻したアーク灯が建てられている。
銀座二丁目交差点の大倉本館角に埋め込まれた
「東京銀座通電気燈建設之図」のレリーフ。
通り沿いには復刻したアーク灯が建てられている。
宇井野
銀座二丁目の交差点ですよね。なぜここに?
荻窪
実はこのレリーフがあるのは大倉本館ビル。明治15年、大倉喜八郎が電気の光を見せたいということで、日本初のアーク灯を大倉組商会の前に設置したんです。
宇井野
電気の光が街を照らしたのも銀座からだったのですね。
荻窪
復刻されたものが大倉本館ビルの前にあるので、夜の銀座を訪れた方は要チェックですね。
宇井野
銀座は新しいインフラがまず設置される場所でもあったんですね。水・ガス・電気と来たので、さらに銀座インフラの歴史の痕跡をさぐってみましょうか。
荻窪
では、新橋方面へ行きましょう。銀座の外からの入口ですからね。江戸時代の一時期、新橋を渡ったところに立派な御門が作られていたのです。
宇井野
芝口御門跡とありますね。
芝口御門跡の碑。
芝口御門跡の碑。
荻窪
1710年から24年のたった14年だけですが、芝口御門が置かれていたのです。当時の江戸絵図を見ると、新橋が芝口橋と描かれてます。今は埋められて上に首都高、下に商業施設がはいってますが、かつては汐留川が流れていて、川を越えたところに御門が作られたのですね。
宇井野
門があったっということは、銀座は“内と外の境界”だったんですね。
荻窪
朝鮮通信使を迎えるにあたって、江戸は西郭にいまだに国門がない(ので建設すべき)ということで作られたそうなので、汐留川が境界だったというのはいえそうです。
宇井野
銀座の南西の境界がここでした。南東側の境界は三十間堀ですよね。
荻窪
そうです。今は完全に埋められてしまって三十間堀跡も道路になってしまい、三十間堀の外側も銀座地名になってしまったのでほぼ意識されてませんが、だいたいこの辺で三十間堀が汐留川と合流していた……あっ。
三十間堀跡は今では普通の道路に。
三十間堀跡は今では普通の道路に。
宇井野
な、なんですか?
荻窪
三十間堀跡を発見。三十間堀で使われていた築石が首都高の脇に何気なく史跡として保存されてます。これは今まで気づきませんでした。
三十間堀の護岸に使われていた築石が保存され、解説板も用意されている。
三十間堀の護岸に使われていた築石が保存され、解説板も用意されている。
宇井野
運河の名残ですね。
荻窪
江戸開府の頃はここより先は浅い海だったのですが、物資を大きな船で運び込むために三十間という広い幅で深く掘り、石垣で固めたのですね。
宇井野
いなり探訪の取材の時にも三十間堀は何回も登場しましたね。ここに流れていた、物資を運ぶ広い堀です。銀座は水の街でもあり、物流の街でもあった。さきほどの井戸が“点”なら、三十間堀は“線”です。
荻窪
銀座の中央を東海道、つまり陸路が通り、東側を三十間堀、つまり水路が通っていた物流の中心だったのがわかります。
宇井野
全部、水でつながっていると思うと面白いですね。
荻窪
実はこの近くに、陸路・水路に続く物流の名残があるんですよ。もうちょっと首都高……つまりかつての汐留川沿いに東へ歩いてみましょう。
宇井野
こ、これは踏切? 電車の?
銀座に残る唯一の踏切跡。かつて鉄道で物資を運んでいた鉄路も今はトラックで運ぶ道路に。
銀座に残る唯一の踏切跡。
かつて鉄道で物資を運んでいた鉄路も今はトラックで運ぶ道路に。
荻窪
そうなんです。現在のシオサイトが汐留貨物駅だった頃、築地の中央卸売市場と汐留をむすぶ貨物線が通っていたのです。今は踏切の信号機だけ残り、線路跡は道路になりました。
緩やかにカーブする道路はかつての鉄路跡。このまま築地の卸売市場へつながっていた。
緩やかにカーブする道路はかつての鉄路跡。
このまま築地の卸売市場へつながっていた。
宇井野
荻窪さんはこの信号機のことご存知だったんですか?
荻窪
実は昔お世話になったASAhIパソコン誌やアサヒカメラ誌の編集部が朝日新聞社のビルにあったので、打ち合わせや座談会で訪れる際、この道をよく使ってたのです。当時はなぜここに線路が? と思ったのですが、築地の市場への引込線だったと思うと納得ですね。
宇井野
築地の市場も移転してしまいましたし、今はもう道路と信号機だけですが、場所の記憶としてこうして残っているのは大事ですよね。銀座界隈のヘリテージは建物だけではなく、都市をささえてきた装置そのものが遺産なのだと思います。
荻窪
たまにはこうして歴史の残滓を探しながら歩いて、歴史の積み重ねの上に今の銀座があるのだなと、感じ入るのもおすすめです。

散策中、荻窪さんは水道、ガス、下水、通信など様々なマンホール蓋が気になったようです。「この模様や、刻まれた文字で年代などがわかるんですよね」と。まだまだ発見されていない暮らしの遺構は身近にあるかもしれません。みなさんの楽しい報告も待っています。