インタビュー

「アンダーグラウンド×銀座」の可能性を探る
溝端俊夫さん(左)と田辺夕子さん(右)

Amazing Ginza! Talk No.9

「アンダーグラウンド×銀座」の可能性を探る

華やかな表層の下に広がる、アンダーグラウンドの世界。日本が世界に誇る“舞踏/BUTOH”を中心にダンス表現のアーカイヴ化に尽力する溝端俊夫さんは、今年、東京の地下空間で実験的な演劇やダンスを再生する「Tokyo Real Underground」を開催。銀座の地下歩道でも写真展を開催し、銀座の「Real Underground」をひもときました。今回のトークでは、銀座のアーカイヴともいえる『銀座百点』編集長の田辺夕子さんが溝端さんをお迎えし、銀座の眠れるアンダーグラウンドの可能性を語らいました。
※撮影時のみマスクを外しています。

幻かリアルか。銀座の意外なアンダーグラウンドをたどって

田辺
ここ、ロックフィッシュにはよく飲みにくるんですが、対談となると、落ち着くけれども落ち着かないような(笑)。ここに来ると皆さんフラットな気持ちになるので、対談にいいかなと。
溝端
いい感じですね。コロナで、1年以上もお酒の付き合いがなくて、こういう場所は久しぶりです。
田辺
銀座にはよくお越しになりますか?銀座の想い出などあれば伺いたいです。
溝端
私は、生まれは深川、育ちが品川という、まったくの東京人間で、銀座といえば、子どもの頃は、何かあると連れて行ってもらう場所でした。食事しようとか、デパートに行こうとか。松坂屋、三越、小松ストアー。屋上の遊園地がとても楽しみでした。デパートの街、楽しい街だなって。大学を出た後は、毎日銀座に通っていました。大野一雄という舞踏家の作品に衝撃を受けて、卒業後は就職せずに舞踏をやっていたんですが、銀座8丁目にあった銀座第一ホテルの厨房で鍋を洗うバイトをしていたんです。品川から銀座に来て、バイトが終わるとダンスの稽古で横浜の大野一雄舞踏研究所に行く生活を2年間。銀座8丁目から新橋駅までの道は、毎日毎日通りましたね。あとは御門通り。40年ぐらい前、今もあるハナマサがちょうどできた頃です。こういう話、アルコールが入ってたらなあ(笑)。
田辺
溝端さんは、今年「Tokyo Real Underground」を開催されて、銀座の地下通路では「ウィリアム・クライン写真展:GINZA 1961 街が主役の写真展」を手がけられました。
溝端
「Tokyo Real Underground」は「Tokyo Tokyo FESTIVAL(以下、TTF)」の一環でした。TTFというのは、2020年にオリンピック・パラリンピックを開催する東京を文化の面から盛り上げようという目的で、東京都とアーツカウンシル東京が開催した事業です。2436件の応募企画から13プログラムが「TTFスペシャル13」として採択されたんですが、幸いうちの企画も選んでいただきました。私たちは「ダンスアーカイヴ構想」というダンスのアーカイヴを作る団体なので、舞踏をテーマに企画しました。
溝端
「Real Underground」という言葉は、実際の地下空間と、1960~70年代の日本でアングラと呼ばれた実験的表現のもつ自由な精神の両方を意味しています。東京の地下で実験的な演劇やダンスを観てみようというのが企画の骨子でした。ところが、コロナで延期となり、お客さんを入れるのも大変な困難で、オンラインフェスティバルに切り替え、世界中の皆さんに楽しんでいただけるクオリティーの高い映像を提供することにしました。1950年代終わりから約半世紀にわたる舞踏の変化と発展の全貌を、パノラマ的にわかりやすく楽しく紹介できたらと思ったんです。これがチラシです。
Tokyo Real Undergroundチラシ画像 提供:NPO法人ダンスアーカイヴ構想
Tokyo Real Undergroundチラシ画像
提供:NPO法人ダンスアーカイヴ構想
田辺
写真の使い方がすてきですね。
溝端
赤と緑の方は鷹野隆大さんの作品です。実は、「Tokyo Real Underground」の着想の原点が、まさに銀座なんです。今93歳でパリにお住まいのウィリアム・クラインという写真家が、1961年に約2カ月間東京の街を撮影し、64年に『TOKYO』という歴史に残る写真集を出しました。その中に4点、舞踏の路上パフォーマンスを撮った非常に有名な作品があります。でも、どういう状況で撮られたのかは、あまり語られてきませんでした。私は2004年から10年ほど、横浜で「大野一雄フェスティバル」というダンスのフェスティバルをやっていたのですが、2005年に、クラインさんが1961年に撮ったヴィンテージプリントをお借りして展示したんです。でも展示するだけじゃつまらないから、クラインさんに電話で突撃インタビューしました。
田辺
え、パリまで電話なさったんですか!?
溝端
パリに突然電話をかけて、あの時はどうだったのかと聞いてみました。クラインさんはとても率直な方で、すごくフランクにお話しくださって、「もうとにかく楽しかった」と。「やりたい放題で、あれこそハプニングだよ」って。200~300カット撮ったとおっしゃったので、いつか見せてくれますかと聞いたら、「いいよ(ガッチャン)」って電話を切られました(笑)。その後も何度か写真を貸してくださいと頼みつつ交流が続きました。
溝端
昔の写真はフィルムだから、コンタクトシートに焼いて、虫眼鏡で見て、どれを大きくするかを写真家が選びます。200~300点も撮ると、選ばれなかった写真はたいていお蔵入りで誰も見なくなる。写真家は自分が選んだ写真がベストで、それ以外のNGカットは見せない、作品化できないんですね。でも、ダンスアーカイヴを作ろうとしている私は目的が違います。1961年のある1日に銀座のど真ん中で撮られた、土方巽と、大野一雄と、大野慶人の写真は、もちろん写真作品としてもすばらしいけれど、それ以上にダンスの歴史にとって重要だからぜひ見せてくださいと長く交渉しました。2015年、ついに「じゃあ、パリのアトリエに来れば見せてあげるよ」とOKをいただいて、パリに見に行ったんです。
溝端
想像していた通り、それはすごいものでした。私にとっては相当な驚きでしたが、200点どころか600点もあった。歴史的には、銀座と新橋の路上で撮った数百点のうち4点が『TOKYO』に収められていますが、実はその前日に土方巽さんの稽古場でも撮っていた。それまで、その写真は一切表に出ていなかったんです。アトリエを訪問して、写真セッションはやはり2日間で、1日目は土方さんの目黒の稽古場室内で、2日目は屋外の新橋と銀座4丁目だったとわかりました。どんなふうに銀座を歩いたんだろうと思って、後日クラインの足跡をフィールドワークしました。クラインの最後の写真は、銀座線の銀座駅改札で、土方巽と大野慶人が、パンツ一丁で入って行くんです。
田辺
入っていっちゃうんだ。
溝端
でも、手には切符、持ってるんです(笑)。
田辺
律義ですね(笑)。
溝端
さすがに警察が来て撮影は終わったそうで、それがフィルムのエンド。もう50年前の話だから、その改札がどこなのか、東京メトロ銀座駅の方に写真を見ていただきました。銀座駅の助役さんがとても親切で、広い銀座駅を歩いて「ここじゃないか」「あそこじゃないか」「この角度で撮ったんじゃないか」と親切に教えてくださって、大変勉強になりました。そうしたら、話の最後に「実はこの銀座駅のもう一つ下に、幻の地下商店街(商店街をつくろうと設計された空間)があるんですよ」と言われたんです。
田辺
新橋駅にもう一つ線路があると聞いたことはありましたが、銀座駅の地下商店街は知らなかったです。
溝端
「1960年代に日比谷線が開通したときに作られて、一回オープンしたけれど、何カ月かで閉めてしまった、何十年も開かずの場所があるんだよ」って。
田辺
何と!行きたい!
溝端
だからまさに、銀座駅が「Tokyo Real Underground」の原点だったんです。場所は、「Tokyo Real Underground」でクラインの写真を展示した壁の真下の空間です。
この地下空間は、晴海通りに百何十メーター、1000平米ぐらいある。つまり、「Tokyo Real Underground」の展覧会を開催した銀座駅と東銀座駅の地下歩道の真下に、同じ幅の道があるんです。今回、この場所の使用許可を交渉したんですが、やはり諸事情難しくて断念せざるを得ませんでした。私としては、何よりもこの企画の原点が銀座にあって、これだけのものが銀座に存在していることがすごいと思います。誰に話しても、そんなものがあるのかとみんな驚くし、銀座のど真ん中に1000平米の空いた空間があるなんて、都市伝説みたいで、夢のある話です。
田辺
素材としてすごく引かれます。上はあんなにキラキラしてるのに、地下には誰もいない、がらんとした空間がある。これだけで夢がありますね。銀座は地上駅が1つもないし、地下空間と共に歴史を歩んできた街だと、私も常々考えていました。
田辺
今回のウィリアム・クラインさんの展示写真は、私は何の前情報もなく、歩いていて突然見つけました。「うわっ、何だこの写真は!」と思って、とても楽しかった。あの場所は昔あった地下の映画館「銀座シネパトス」なども近く、銀座でも本当の意味でアンダーグラウンドなエリアです。そこに、アングラな舞踏家たちの写真が突然出てきて、らしいなあと。土地の記憶に写真がすごく合っていました。写真を見た若い男の子が、「江頭?」って言って通り過ぎて行ったんですよ(笑)。江頭2:50さんを想起したんでしょうが、アングラの時代を知らない、若い世代が見てもおもしろいと思う、引力のある展示でしたね。

アンダーグラウンドな空間と精神で、銀座にあらたな一層を創る

田辺
溝端さん、『銀座百点』はご存じですか?
溝端
実はうちのスタッフが、こういう冊子がありますよと見つけてきて、「せっかくわれわれも銀座でイベントをやるんだから、ちゃんと訪ねて資料を送らなきゃいけませんよ」って(笑)。
田辺
優秀なスタッフさんですね(笑)。『銀座百点』は、今年 7月で通巻800号になりました。創刊は昭和30年。昭和とともに歩んできました。
銀座百点2021年7月号NO.800』表紙
(アートディレクション:クラフト・エヴィング商會)
溝端
私、昭和31年生まれです。
田辺
ほぼ同い年ですね。当時は、それこそアングラカルチャーの中心地は新宿で、盛り場が新宿や渋谷に移っていくなかで、銀座の専門店や小売店の人たちは、銀座をもう少しPRしていこうと考えました。文藝春秋の本社が銀座にあって、当時の最新メディアは雑誌。そうして『銀座百点』が創刊されました。以来67年間、毎月発行して1回も休刊してないんです、恐ろしいことに(笑)。
実は、私自身は『銀座百点』の編集と並行して、劇団の制作をお手伝いしていた時期があったんです。その頃はまだ編集部の下っ端のほうで、昼間は仕事をして、“放課後”に制作を手伝うという余裕があったんですね。
溝端
悪魔のしるし」の制作をされていたと聞きました。KAAT(神奈川芸術劇場)での公演は拝見しました。2012年ぐらいですかね。
田辺
ありがとうございます。『倒木図鑑』ですね、懐かしい!話のネタに、その公演の時のチラシとか「悪魔のしるし」の制作物のファイルを持ってきました。慣れないチケット管理やモギリだけでも大変だったのに、さらに死ぬ思いをして、毎公演、趣向を凝らした刷りモノを仕込んでました(笑)。
溝端
田辺さんが作ってたんですか?すごいアーカイヴ。全然結び付かない2つですよね。これを並行していたなんてあり得ないかもしれない。
田辺
あり得ないですよね(笑)。最初の「悪魔のしるし」は完全に友人たちがノリで始めたので、メジャーじゃない、それこそアンダーグラウンドだと思ったんです。そうしたら、意外と公的なサポートを得たり、KAATのような超一流の劇場と一緒に制作したり、活動がどんどん広がって、劇団素人の私なんかの手に負えなくなっちゃって。ちょうどそのタイミングで『銀座百点』の編集長就任という転機を迎え、頼もしい後任の方にバトンタッチしましたが、それまでは2つ並走でした。
田辺
亡くなった「悪魔のしるし」主宰の危口統之が、『桜の園』(SAKURmA NO SONOhirushi)の劇中で、「観光地とは、土地の演技である」と言っていました。以来、街や土地は、観光地ではなくても、ある程度演技をしているのでは?と思うようになりました。私のなかでは銀座は一つの舞台で、『銀座百点』は、その舞台に来てくれる人に渡すパンフレットという感覚です。少し表面的に銀座を見ていた頃の私は、放課後と昼間の自分の折り合いがなかなかつかなかったんですが、「土地の演技」という危口の言葉がヒントになって、銀座もある程度演技をしていると考えたら、いろいろな要素が見えてきました。せっかく来ていただく方に、表面的でない銀座の本当の魅力を伝えるにはどうしたらいいか、毎月自転車操業の中で考えています。
溝端
確かに、表層の銀座には、お店や施設が今後もずっとできていくと思いますが、そことは一層違うレイヤーが現れると、それは結構な大事件です。1000平米の土地が銀座のど真ん中、晴海通りの真下にあるわけで、それを表に浮上させることができれば―。何でもいいと思うんですよ。街のインフラでも、駐輪場でもいい。アート的なもの、アーカイヴ的なもの、20世紀の文化遺産をこの産業遺構の中で見るようにしてもいい。1000平米の地下空間は、銀座が世界に誇る財産の一つだと主張できれば、まさに新しいレイヤーが銀座に生まれます。地下は造るよりも潰す方にお金がかかる。行政と民間が力を合わせて、この5年、10年で銀座のアンダーグラウンドをうまく活用できるといいなと思います。
田辺
大賛成です。銀座では、表層の銀座だけに引かれてきた人は、すぐにいなくなると思うんです。表層の下にある土地の記憶という鉱脈に気づいた人が根づくんじゃないでしょうか。住んでいる人がほとんどいない通いの街ですが、それもちょっと書き割りめいておもしろい。お客さんと役者さんのいる舞台が、終演後は何もかもなくなって劇場がしんとする感じと似ています。立ち現れる時間帯や人の動きで見え方がまったく違う街は、東京では他にないんじゃないかと思います。銀座の街のおもしろい人材と、銀座に来る人を混ぜるような、街の魅力と人の魅力が一体に混ざるような何かができたらおもしろいはずだと、前からモヤモヤと思っています。
溝端
銀座は、ものすごく大きいブランドで大きな集客力がある。あらゆる人が集まってくる大きな枠組みです。銀座に集まる人たちが興味を持ってくれるのは、社会的な出来事にもなるということなんです。
田辺
そうですね。雑誌には「橋を渡す」という大きな役割があると思うんですね。今後は、銀座で何かを「つなげる」ことをもう少し意識的にやっていかれたら、街の真の魅力発信に寄与できるかなと思っています。
溝端
銀座は先頭ランナーです。物においても精神的なところでも。モダニズムの生活感みたいなもので、常にトップランナー集団にいて、日本人の生き方を引っ張っている。一方、舞踏というのも生き方なんです。舞踏は日本よりも欧米で評価が高いんですが、パフォーミングアーツの新しい価値を生み出したことに加えて、一つの生き方であることが評価されたんですね。われわれの実態調査によると、プロの舞踏家もアマチュアも、経済的な問題はあっても精神的な満足は得ていることがわかりました。そうした生き方を一つの価値観として認めてもいいのかもしれない。舞踏的価値観と銀座らしい価値観の接点に、何かが生まれるといいなと思います。既にあるコンテンツと違うものが生まれるんじゃないでしょうか。妄想ですが(笑)
田辺
銀座って昔から多様性と可能性を否定しない街なんですよ。一つ新たな橋が架かれば、ふっと何かできそうな気もします。街で働く人たちにも、ダンスのワークショップとか参加してほしいな。アーティストの方も溝端さんも、企画のアイディアを考えるときに銀座をただ歩くと、ふっと考えつくことがあるような気がします。この街はヒントを与えてくれるので、いつでもご案内します!

(2021年9月14日 ロックフィッシュにて)

対談者プロフィール

溝端俊夫(みぞはた・としお)

溝端俊夫(みぞはた・としお)
NPO法人ダンスアーカイヴ構想 理事長

1983年大野一雄舞踏研究所入所。以来大野一雄、慶人の国内外の活動に制作、照明デザインなどで携わる。90年代から大野一雄のアーカイヴ資料を整理し、『大野一雄稽古の言葉』をはじめ、書籍、DVDを多数編集。2004年よりBankART1929 の設立に参画し、「大野一雄フェスティバル」を制作した。2016年NPO法人ダンスアーカイヴ構想を設立、各地で「Dance Archive Project」を展開。2021年TOKYO REAL UNDERGROUNDを企画制作した。

田辺夕子(たなべ・ゆうこ)

田辺夕子(たなべ・ゆうこ)
編集者、『銀座百点』編集長

数社での会社勤務を経て、2004年協同組合銀座百店会に入社。編集部に配属となり、2015年日本初のタウン誌『銀座百点』11代目編集長。初めて担当した連載は太田和彦氏の『銀座の酒場を歩く』。「銀座百点」の創刊時からテーマは「銀座の香りをお届けする冊子」。今も編集方針は変わらず、毎月さまざまな作家やアーティスト、街をつくる人びとなど幅広い寄稿者による銀座を誌面で紹介している。

  • 撮影 : 鈴木穣蔵
  • 構成・文 : 若林朋子
  • 企画・調整 : 永井真未(全銀座会G2020)、森隆一郎(全銀座会G2020アドバイザー、渚と)
  • 会場協力 : ロックフィッシュ(東京都中央区銀座7-3-13 ニューギンザビル1号館 7F)