インタビュー

アートを通じて共通体験を持つことの非貨幣的価値
熊倉純子さん(左)と竹沢えり子(右)

Amazing Ginza! Talk No.8

アートを通じて共通体験を持つことの非貨幣的価値

茨城県取手市や東京・北千住で地域に根ざした「アートプロジェクト」を展開し、全国の事例にも詳しい東京藝術大学音楽環境創造科教授の熊倉純子さん。学生や地域住民と汗を流しながら、アートのある地域社会とアートマネジメントの専門人材育成に尽力されています。今回のトークでは、全銀座会の竹沢えり子が、アートによる銀座の街づくりの可能性について熊倉さんに伺いました。

明治期に銀座に集った“ベンチャー”が今や老舗

熊倉
(撮影でビヤホールライオン銀座七丁目店の館内を巡って) この建物はもう86歳なんですね。建物の端々に歴史を感じますし、おしゃれなところもたくさんありましたね。
竹沢
ここはディテールのひとつひとつに歴史があって本当にすてきで、由来を聞くとまた来たくなります。「銀座は奥深い」と思ってもらえる場所を、もっと皆さんに知っていただきたいです。
熊倉
私は2001年まで10年間、有楽町マリオンに事務所があった企業メセナ協議会に勤めていたので、銀座の街は楽しんでいました。昼休みの気分転換や1人になりたいときにふらっと歩いたり、仕事が終わってから夕御飯をみんなで食べたり。路地に古くて懐かしい店もあれば、シェフの意気込みを感じる新しい店もあって、幅広いし落ち着いた大人の街ですよね。資生堂ギャラリーやリクルートのクリエイションギャラリーG8など企業系ギャラリーも多くて、よく行きました。
竹沢
資生堂ギャラリーは現存する日本最古のギャラリーですが、それが銀座にあることがすばらしくて。私は出版社の編集者だったのですが、あるきっかけから銀座研究を始めることになって、この街に関わるようになりました。1998 年に銀座通連合会80 周年記念事業として「銀座まちづくりヴィジョン」を取りまとめたり、銀座のある東京・中央区の地区計画変更のためのコンサルティングをしたり、その流れで2004年には「銀座街づくり会議」を立ち上げるお手伝いもしました。
熊倉
その銀座研究や会議、銀座で働いていたときに参加したかったです。そこで銀座の若旦那さんたちともっと仲良くなったりしたかったなあ(笑)
竹沢
銀座は、明治時代に煉瓦街がつくられ、新しいものを新しい商売方法で売って一旗あげようという商人たちが全国から集まって盛り上げていった街です。西洋の薬を売っていた資生堂は今でいうベンチャー企業、新しい広告方法を提案した電通も銀座で創業しています。昭和初期頃までの文献には「銀座は若者の街」と書いてあるんですよ。高級とか大人の街と言われるようになったのは高度経済成長期以降です。若い人たちが、これまで誰も見たことのないようなものを、新しい商売の仕方で売る商店が長く続いて、今や老舗になったのです。新しいことが集まるから新聞社も集まり、新聞社があるから作家など文化人も集まってきて、情報がどんどん発信されていく。この商売文化こそ銀座の原点だと思っています。

商売文化の転換期にどう対応するか

竹沢
でも、その銀座の商売が今過渡期を迎えています。街に行かずに買い物ができるネット販売の普及で、従来の商売方法だけでは立ち行かなくなり、その傾向がコロナで一層加速しました。街の魅力が伝えにくくなるなか、銀座発の新しい価値や文化、若い人たちが育つ機会をつくりたいと、強く思っています。
熊倉
なるほど。
竹沢
銀座の街が若い人を育てたいという思いで、以前は、建築や美術を学ぶ学生に銀座のショーウィンドウを作ってもらう「銀座スペースデザイン・学生コンペティション」を5つの美術系大学と開催していました。今は銀座通り周辺で開催する「銀茶会」という野点大茶会で、日本建築学会と組んで、建築を学ぶ学生がつくる茶席のデザインコンペをしたり、東京藝術大学工芸科による茶道具などの作品展示販売「東京藝大in銀茶会」を開催したりしています。
熊倉
はい、知っています。
竹沢
銀座の街から新しい文化や価値を生み出す若い人が育ってほしくて、20年ほど前からこうした活動をしてきましたが、そんな銀座のまちづくりをどう思いますか?銀座の魅力をどう発信するか、若者の力をどう生かしていくか、ぜひ伺いたいです。
熊倉
銀座界隈で10年勤めていたものの、今は人の顔が見える小さい町が魅力で、藝大がある北千住や上野の裏の谷中辺りに生息しているので、個人的には大都会は満喫して卒業しちゃった気分なのですが。まちづくりといえば、私は「アートプロジェクト」と呼んでいますが、2000年ぐらいから、高齢化した過疎地域が芸術の力で再発見されるような例が、大型のものから住民の手弁当によるものまで、全国でたくさん行われるようになりました。新潟中山間部の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や、瀬戸内の島々を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」はよく知られています。20世紀最後の豊かな時代の街は、おしゃれな空間や物、すてきなアート作品が注目されて、そのプロデュースに皆一所懸命でしたが、21世紀は「空間と物」から「場所と体験」を志向する、モノよりもコトの時代になりました。どういう人が集まるのか、どういう場所にしたい人たちが集まっているかを見る。人々が求める価値が大きく変わりました。
熊倉
アートプロジェクトでは、その地域に縁もゆかりもなく何の興味もなかったけれど、変なことをやるなら行ってみるかという人が出てきます。若者文化はよそで満喫するものと思っていた若い人も、地元でアートプロジェクトの運営に参加すると、地元愛が少し育まれたりする。文化的な事柄を通じて、本来出会わないような人たちや、同じ街にいながら案外知り合いではなかった人たちが出会い、知り合いでも一緒に汗をかいたことはなかった人たちが、ともに時間や労力を割いてちょっとずつリスクを取りあい、みんなで少しずつ損をして、つながりや経験を生み出します。アートはともに損をしあえることが特徴です。
竹沢
モノからコト、物の消費から時間の消費ですね。銀座は町会が23、通り会も18あって、それらが全銀座会を構成しています。全銀座会は毎月会合をしていて、催事の企画や運営も自分たちでやります。ですが、参加者はほとんど社長さんや若旦那、店長さんたちです。銀座のために何かしたいと言ってくださるお客さまや、銀座が大好きという従業員さんたちにももっと関わってもらえるようにと、公園を使ったアートプロジェクトもやっていますが、おもしろさや感動を共有するまではなかなかいかなくて…。広報が弱いのか、継続すれば共有できるのか、いろいろ反省はあるものの難しくて、広げ方をぜひ学ばせていただきたいです。
熊倉
それがすんなりできると私も苦労しないんですよね(笑)。すばらしいアーティストが参加していても、誰もが知る著名人ではなかったり、すぐには分かりにくかったりするアートプロジェクトは、地域の人たちが力を合わせて盛り上がりにくいこともよくあります。なんというか、藁にもすがるような思いで資本主義の発想から一回完全に逸脱しないと突き抜けないのかもしれません。成熟した消費者は、お金のにおいがするものに敏感で、買えば済むものは、買うものリストに載せるかどうかの選別がすべてです。一方、アートプロジェクトはお金のにおいがしないこと(消費の外にあること)が一つの魅力です。その域に抜け出せるかどうかなんですね。困っている繁華街が何をやってもだめで、「もうアートでも何でも」と開き直ると、たどり着いたりする。それと、10年くらいかけてでも、銀座にもこんな商店主がいると見せていく取り組みも大事と思います。

従業員や若者を街づくりに巻き込みたい

竹沢
銀座の特徴の一つは、大資本の企業がお金をかけたイベントをする他の繁華街と違って、また、仕事として街づくりやイベントのお手伝いをしてくださるサラリーマンの方がいる街とも違って、若旦那が本業をしながら汗みずくで街をつくっていることです。銀座の文化イベントは、商業主義のマーケティング的な文化イベントとは出発点が違います。もちろん、みんな商売をしているから、最終的には売り上げを伸ばしたいし、自分のお店に大勢来てほしいですけれどね。
熊倉
ぜひ大資本のまねはなさらず、エアポケットになるのもありではないでしょうか。あまり懐古的になってもいけないですが、代々銀座にいる方々の手弁当感はとてもいいと思います。とはいえ、ある程度お金も時間もかけないとうまくいかないものです。最初の広報に少しお金をかければ人も集まって運営する方々も手応えを感じますが、東京で人を集めるには多額の広報費がかかります。であれば、時間をかけて、少しずつ話し合っているうちに「それでうちは何が儲かるのか」などと徐々に言わなくなる。そのほうがおもしろいと納得していただくしかないですよね。
竹沢
銀茶会はもう20年近く開催していますが、儲からないから嫌だという人はいませんね。町会や通会は本当に結束が固く、街のコミュニティーはしっかりして、顔も見えるのですが、従業員たちに活動を広げるところが、これまでできていなかったと思うんですね。
熊倉
驚きとギャップですかね。ギャップがないと意外性がないので。銀座の意外性ギャップはなんですか?
竹沢
なんでしょう?!
熊倉
大々的に話題になるような、本当に何の役にも立たないものを一度追求してみるといいかもしれません。アートっぽく、ばかばかしくてもいいかなというもの。あと、スクールや訓練道場はどうですか?最近の若い人は受け身で、ボランティアとかインターンより講座や学校が好きですよ。
竹沢
以前、「銀座アートエクステンションスクール」というものをやっていたのですが、手弁当でやっているうちにくたびれ果ててやめてしまいました。他のイベントでも担当者がボランティアでへとへとで回す状況になってしまうものですが、地域のアートプロジェクトはそういうことはないのでしょうか?
熊倉
そのやり方だと、今は持ちませんので。
竹沢
持たないですよね。でも、それで「やっぱり資本力がないと」となってしまうのはつらい。
熊倉
資本力をどのくらいに捉えるかですよね。私が関わってきた取手アートプロジェクトは、へろへろになるくらい一所懸命やってきた結果、NPO法人化して、悠々自適では全然ないけれども、中核スタッフたちは結婚もして子育てして、今はちゃんとお給料をもらっています。地域のアートプロジェクトは、もとは地域に縁もゆかりも損得もない若いスタッフたちが街を走り回ってくれて、地域の人が「それなら」と動くことでネットワークが生まれます。だから2~3年で中核メンバーがいなくなると、かなりの損失なんです。
熊倉
情熱を注ぎたい若者は幸い多いです。街がそういう人たちを大事にして、街に期待されていると思えれば若者は辞めないでくれる。芸術系大学を出たアーティストも含め、結構な数の若者が、自分たちが社会に期待され自分たちの活動で喜ばれるという手応えを求めています。そういうなかで一定以上の能力がある人は、徐々に仕事になっていくのではと思っています。
竹沢
そこ課題ですよね。若いときはがんばることができても…。
熊倉
あちこちのポストを転々として、だんだんとキャリアアップしてもいいし、行政と共同で組織をつくることもできます。銀座だったらきっと新しいシステムをつくれると思います。イベントで沸き上がるアートならではの起爆力をどう拾って次につなげるか。大学と連携して何かをやるにしても、受け皿になるチームがなければ、学生と教員だけでは継続的なことはできないんですよね。
竹沢
新しい価値を生む、起爆剤になるアートプロジェクトを継続的にやることで、銀座のブランド力を落とさずに、商売文化の新しい価値をアートの力でつくっていきたいです。チームになってくださる仲間も受け入れたいですね。

50年先、100年単位で考える、文化の香る銀座

熊倉
人の顔が見える街というのが、まだ外に伝わりきっていないだけな気もします。
竹沢
私たちとしては一所懸命伝えているつもりなんですが…。熊倉さんは、全国でまちづくりの仕組みをいろいろ見てこられたと思いますが、やっぱり「人」なのでしょうか?
熊倉
「人」以外に何もないと思います。街で力のある人が自分で全部旗を振るのではなく、専門として従事してくれる人をきちんと待遇して、どういうことを徐々に生み出し、どういうふうにやっていくのか、再度ビジョンをつくるといいのかもしれません。
熊倉
全国にどれほど「銀座」があるかは知らないですが、ここは100年、150年もブランド力が変わっていないことは確かです。紆余曲折あってもサステイナブルな経済を実現してきた。お話くださった「銀座の商人文化」から振り返ってみてはいかがでしょうか。日本の商人文化はアメリカ型になじまない社会的価値観がベースにあるし、競争大好きな弱肉強食の国民性でもないのに、今の経済はそちらに傾きかけていて心配です。そこで勝負しても負けますよ。
竹沢
おっしゃるとおりです。銀座の商人は50年先、100年先を見て商売してきたのに、今の半期決算、前年度対比のような決算方法の標準化は考えものです。長い目で見て、戦後に比べたら大丈夫、いまは落ち込んでも10年後には取り戻せるくらいの長期視点も大切ですよね。
熊倉
そういうところから銀座を発信するといいですね。多くの心ある上の世代の方々が『銀座百点』を好んで読んでいたのは、銀座でないと香ってこない文化があるからです。「文化が香る街」と言ってふさわしいのは、日本中でここぐらい。過去の遺産を食べている部分から見つめ直して、なぜ銀座に文化の香りがするのか、その素地を再び固めておくと、皆さんが思い切りはっちゃけたことを楽しめる気がします。地権者だけが街の未来を考えてもだめで、郊外から毎日働きに通っている方や、「きっと銀座に学ぶものがあるに違いない」と感じてしまう縁もゆかりもない人と一緒になにかする場が銀座で立ち上がったら、そりゃあ六本木がやるよりも断然いい感じしませんか?
竹沢
ですね。おかげさまで銀座には遺産がたくさんあるのですが、過去の遺産を食べているだけではだめなので、これから100年後に老舗になるような新しい価値を生んでおきたいです。明治時代にベンチャーで銀座に来た商人が今、老舗になったように、今銀座に来る人が100年後の老舗、大家、有名人になったらいいなと思います。
熊倉
資生堂ギャラリーも、1947年から続くグループ展「椿会」の初期メンバーは、その後どんどん活躍して、みんな人間国宝級になりましたよね。銀座の今後に期待しています。
竹沢
そういう方たちが、これからの銀座でも出てきてほしいです。今日はありがとうございました。

(2020年12月14日 ビヤホールライオン銀座七丁目店にて)

対談者プロフィール

熊倉純子(くまくら・すみこ)

熊倉純子(くまくら・すみこ)
東京藝術大学音楽環境創造科教授東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科長

パリ第十大学卒、慶應義塾大学大学院修了(美学・美術史)。(社)企業メセナ協議会を経て2002年より現職。アートマネジメントの専門人材を育成し、取手アートプロジェクト(茨城県)、アートアクセスあだち―音まち千住の縁(東京都)など、地域型アートプロジェクトに学生たちと携わりながら、アートと市民社会の関係を模索し、文化政策を提案する。著書に『アートプロジェクト─芸術と共創する社会』(監修、水曜社、2014)、『アートプロジェクトのピアレビュー:対話と支え合いの評価手法』(監修・編者、水曜社)など。

竹沢えり子(たけざわ・えりこ)

竹沢えり子(たけざわ・えりこ)
全銀座会一般社団法人銀座通連合会銀座街づくり会議事務局長

出版社勤務、企画会社経営を経て、1992年頃より銀座のまちづくりに関わる。2011 年、東京工業大学大学院社会理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。銀座のまちづくりをテーマとした博士論文にて日本都市計画学会論文奨励賞を受賞。著書に『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』(平凡社新書、2013)、共著に『銀座 街の物語』(河出書房新社、2006)、『地域と大学の共創まちづくり』(学芸出版社、2008)など。