銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第1回

銀座オフィシャルのサイトを訪問してくださっている皆様こんにちは!
銀座四丁目の稲荷神社の守人をしている宇井野京子です。
この度、この街の魅力を、点在する神社を通じて探っていくという連載を担当することになりました。
タイトル通り、稲荷で銀座探訪をいたします。せっかくの神社探訪です。私がひとりでご案内するより、皆様も、もっと深く歴史や街歩きを掘り下げてくれるガイドが欲しいですよね?
そこで、強力な助っ人に登場していただくことにしました。
東京の古道や神社の本の著作を多く持つ荻窪圭さんです。

荻窪
こんにちは、銀座の面白いところに連れて行ってもらえるということでやってきた荻窪圭です。「東京古道散歩」(中経の文庫)や「古地図と地形図で楽しむ東京の神社」(光文社知恵の森文庫)などを書いてます。
宇井野
荻窪さんは、いくつも街歩きのガイドをされていますよね。
私も江戸の神社巡りに参加して、知っている神社の新たな情報に触れて新鮮でした。
荻窪
ええ、年に12回ほど街歩きガイドで東京の古い道や地形、神社などを案内してます。古地図を見ながら当時の人と同じ道筋で歩くのが特徴で、そうすると点ではなく線で歴史を感じられて面白いのですよ。わざわざ江戸時代の参道を使って参拝したり。
古い道筋には街に残る歴史の忘れ物と出会えるという……たとえば江戸時代の野仏だったり、古い御屋敷だったり、昭和を感じさせる古いお店や看板、橋の跡、そういう歴史の痕跡が見え隠れしてるのがたまりません。意外な場所に意外なものを見つける楽しさですね。
特に小さな神社はいいですよねえ。その町の歴史を物語ってくれます。
宇井野
今回の連載は、その神社、という場所がテーマなんです。
荻窪
それは楽しそう。でも銀座って神社のイメージがないですよねえ。江戸時代から賑わっていたわりに、“銀座氷川神社”とか“銀座八幡神社”とか“銀座大神宮”なんて聞いたことないですし。
宇井野
ありません、ありません(笑)。でもね、銀座は商業の街でしょう。
そして商売繁盛の神様、といえば…。
荻窪
お稲荷さま!
宇井野
そうなんです。銀座の街には稲荷神社がたくさんあるんです。
荻窪
ああ、そうか!今でも商業ビルの屋上へ行くと商売繁盛の神様として稲荷が祀られてたりしますし、銀座は町人の町でしたから稲荷もいっぱいあったはず。でも、これだけの繁華街ですよ。今ではビルがぎっしり。稲荷が生き残るスペースってあまりなさそうですよねえ。東京だと、小さな稲荷は「村社」(明治時代に一村一社として各集落に村社が定められた)に合祀されて元の場所には残ってないなんてこともありますし。
宇井野
それがね、銀座ではビルの隙間やビルの屋上、ちょっとした路地、そしてビルの中、といろんなところに神社は生きているんです。その数は10社以上。
荻窪
おお、それはすごい!
宇井野
ね、行ってみたくないですか?
荻窪
行きたい行きたい!行きましょう!
宇井野
出発前にこの写真、ちょっと見てください。
八丁神社巡りがたくさんの人でにぎわっています。
八丁神社巡りがたくさんの人でにぎわっています。
荻窪
おお、銀座のあの狭い路地に人が並んでる!全部参拝の人ですか?
宇井野
これは毎年11月におこなわれる八丁神社巡りというスタンプラリーの時の様子。イベントならではの行列ともいえるんですけど、普段からいろんな方がお参りにみえるんですよ。
荻窪
八丁神社巡り、って?
宇井野
銀座1丁目から8丁目までの神社が、期間中、そのときだけのスタンプを捺してくれるイベントなんです。銀座の町内だけの御朱印集めって言ってもいいかな。記録をみると1973年の大銀座祭りから始まったようですから軽く40年以上続いている、人気の催しです。
荻窪
昨今は空前の御朱印ブームですけど、その先駆けみたいですね。
宇井野
ええ、スタンプを集めることをきっかけに、街を歩いてもらうこと、親しんでもらうことができますね。そして、この期間だけ、一般公開される神社もあるんです。
荻窪
普段はお参りできない神社があるいうこと?
宇井野
ええ、会社の中やビルの中だと、むやみに人は入れてもらえないでしょう?なので、このスタンプラリーの時だけのご開帳、みたいな感じ。
荻窪
それは楽しい。稲荷って江戸に多いものの例え「火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞」に含まれたほどたくさんあったんですよね。その多くは、商家や農家や武家が自分の家のために伏見稲荷を勧請したもの。
商家は商売繁盛、農家は五穀豊穣を祈ってでしょうが、そういう家の氏神様として勧請した稲荷を「屋敷稲荷」と呼んでます。その屋敷のための神様なので、非公開なんですよ。当たり前ですけど。銀座は町人の街ですから、大きな商家が稲荷を勧請した名残が多くあるのでしょう。
宇井野
ところで、どんな風に銀座が商業の街になっていったのでしょう?
荻窪
一番遡ると、江戸時代ですよね。そもそも、江戸幕府が江戸の街を作るとき、江戸城の正面に武家屋敷を置き、その外側に町人地を置いたのがはじまり、といってしまえばそれまでなんだけど、一番大きな理由は街道かな。
宇井野
街道? 銀座って大きな街道が通っていたんですか? 確かに中央通りは大通りですが。
荻窪
その誰もが思い浮かべる中央通りですが、あの道、江戸時代の東海道なんです。中央通りを北へ行くと京橋ですよね。銀座の北の端。さらに北へ向かうと日本橋につながってます。日本橋といえば五街道の起点。逆に南へ行くと新橋から品川、さらに延々と京都までつづいていたのです。
銀座がある場所は中世には江戸前島と呼ばれた古くからの微高地で、入り江だった日比谷や浅い海だった築地方面と比べて土地がしっかりしていたので街道を通すにはちょうどよい土地だったのでしょう。今でも微妙な高低差は残ってて、有楽町や築地よりほんのちょっと高くなってます。
そしてその一帯を町人地に指定し商人や職人を集め、商工業の発展を図ったのです。
宇井野
それがなぜ銀座という名前に?
荻窪
江戸時代のはじめに、このあたりに銀貨の鋳造所があったのですよ。銀貨は幕府から許可された商人が請け負って鋳造していたので、町人地にあるのです。元禄11年の江戸の地図を見ると、ちゃんと「銀座一丁目」から「四丁目」まで描かれてます。いろんな地図がありますが、古い江戸絵図の中で一番銀座の文字が大きくて読みやすかったの元禄11年のものを引っ張り出して見ました。銀座以外の町名はくずし字のくずしっぷりが大きくてわかりづらいですが。
元禄11年 江戸絵図より。「国立国会図書館デジタルコレクション」
元禄11年 江戸絵図より。
「国立国会図書館デジタルコレクション」
宇井野
そんな昔から銀座だったんですね。
荻窪
ただ、地図によっては銀座ではなく「新両替町」だったり「京橋南」だったり。正式には「新両替町」で、銀座は通称だったようですね。今でも銀座二丁目に「銀座発祥の地」の碑が立ってます。
宇井野
古地図を見ると、銀座は四丁目までしかないようですが。
荻窪
銀座はもともと一丁目から四丁目なんですね。今の五丁目と六丁目は尾張町でした。明治になって、京橋と新橋の間がまるごと銀座になり、八丁目まで拡張されたのです。続いて江戸の地図として一番有名な、幕末近くに出版された江戸切絵図からもどうぞ。こちらは新両替町になってますね。
江戸切絵図から「築地・八丁堀・日本橋南之図」。「国立国会図書館デジタルコレクション」
江戸切絵図から「築地・八丁堀・日本橋南之図」。
「国立国会図書館デジタルコレクション」
宇井野
これを見ると、昔の方が町名は細かくなったり道路がちょっと増えてますが、基本的には今と変わらないのがすごいですね。
荻窪
そうなのです。それを意識するとより歴史を楽しめるかと思います。で、第1回目はどこの稲荷へ行きましょう。
宇井野
いま、順番をあれこれ考えているところです。
荻窪
楽しみにしてます。