銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第5回 あづま稲荷

元号という、年月の数え方があります。みなさん、もちろんご存知ですよね。そう、近いところでは、時代は令和、になりました。それぞれの元号は長い時もあれば短い時もあります。ですから、中には人生でいくつかの元号を体験する人もいます。令和の今、昭和を知る人は平成、と3つの時代を知っている、というように。
今回は、令和の銀座から昭和を感じてみましょう。まずは、銀座四丁目交差点から晴海通りを東に向かったところにある三原橋交差点からです。

宇井野
荻窪さん、見て見て!あそこで何かのロケ撮影してますよ!
荻窪
あそこはは新しくなった三原橋ですね。ずいぶん小綺麗になっちゃいました。
宇井野
三原橋といえば、すごく昭和が色濃く残る場所でしたが…昭和という時代は…
荻窪
最近まで昭和でしたよね。三原橋って、江戸時代から昭和まで三十間堀にかけられていた橋なんです。
宇井野
朝日稲荷の御神体が姿を現した堀ですよね。
荻窪
それが埋め立てられたのが戦後。戦災で出た瓦礫で埋めたそうです。実は、たまたま、三十間堀が埋められる前後の地図を持ってるんですよ。昭和16年の京橋区と、昭和28年の中央区の地図です。
宇井野
おお、すごい。なぜそんなの持ってるんですか?
荻窪
いや、単に趣味で集めた古地図に混じってたんですよ。戦前と戦後で見比べてみましょう。三越と松坂屋(現GINZA SIX)と歌舞伎座を目印にすると位置関係が把握できると思います。
昭和18年の三原橋周辺。まだ三十間堀が流れている。
昭和18年の三原橋周辺。まだ三十間堀が流れている。
昭和28年の三原橋周辺。三十間堀が埋め立てられ、橋の下に地下街ができた直後。
昭和28年の三原橋周辺。三十間堀が埋め立てられ、橋の下に地下街ができた直後。
宇井野
川がなくなっちゃう、って町の風景としてはとてつもなく大きな変化ですよねえ。
荻窪
このとき、橋の下にミニ地下街が造られたんですよね。そこ、ずーっと使われていたので、まさに戦後から高度成長期、バブル期と生き続けてました。地下には映画館もあったんですよね。初めてみたときは驚きました。いきなり地下に入れるんですから。しかも地下に降りるといきなり昭和のまま! 地下というより橋の下なんですが。
地下に「銀座シネパトス」といくつかのお店があった頃。
地下に「銀座シネパトス」といくつかのお店があった頃。
宇井野
懐かしい。これはいつ撮ったものなのですか?
荻窪
2008年なので13年前ですね。道路の下の映画館というのがなかなか乙でした。行ったことあります?
三原橋地下街の様子。左手に映画館、右手に飲食店街があった。
三原橋地下街の様子。左手に映画館、右手に飲食店街があった。
宇井野
ここはゆっくり体験しなきゃ!と思っていたんですけど、行きそびれてしまいました。
荻窪
わたしもです。行かねばと思っているうちに耐震性に問題があるということで埋め立てられて、出入口跡は綺麗な公園になっちゃいましたね。
宇井野
公園は多くの人が利用できる大切な空間なんですが、こういう二度とつくられないような施設も貴重だと思うんですけどね。
荻窪
で、今回はその三原橋で待ち合わせましたが、ここからどちらの稲荷へ?
宇井野
今日の探訪先は、この三原橋とも関係の深いあづま稲荷です。
荻窪
おお。知ってます知ってます。昔、銀座あたりをカメラ持ってうろうろしてるときに偶然見つけました。確か三原橋脇の通り(銀座三原通り)を少し入ったところにある狭い路地ですよね。
宇井野
そうですそうです。その狭い路地を三原小路と言います。
荻窪
ありました。ここですね。古めかしい書体もいいですし。人しか入れない路地に新旧の飲食店が並んでるところも良い感じです。
三原小路のゲート。この路地の奥にあづま稲荷神社がある。
三原小路のゲート。この路地の奥にあづま稲荷神社がある。
宇井野
そうなんですよね! お気に入りの着物を着たら、ちょっとここを歩きたいな、なんて思う、すごく素敵な場所。初めてここをお参りした時、映画のセットみたいな感じがしたんですが、年月を経て、骨董で言うところの『時代がついた』いい感じに。タイムトラベルで迷いこんだ空間みたい。
荻窪
ここを奥へ入っていくと、そのあづま稲荷があるんですよね。昔訪れた時よりキレイになってる気がします。以前はもっと映画のセットみたいな路地だった気がします。あ。ありましたありました。
三原小路のあづま稲荷神社。奥に見えるのが銀座コア。
三原小路のあづま稲荷神社。奥に見えるのが銀座コア。
宇井野
戦後、この辺りに火災が続発したため、何か理由があるのではないかと調べたところ、かつてお稲荷様が祀られていたことがわかり、町内で京都の伏見稲荷大社から分霊をいただいたそうです。
荻窪
火伏せの稲荷だったのですね。商売繁盛と火伏せ。銀座にふさわしい稲荷です。
宇井野
戦後、めざましく復興する途中でいろんなことがあったんでしょうねえ。そんな場所に、この辺りでご商売されている方々が力をあわせて一つのお社を置いたわけでしょう?
荻窪
戦後といえば、たまたま昭和40年くらいの銀座の繁華街図を持ってたのでをみてみましょうか。銀座コアの竣工が1971年(昭和46年)だそうですから、その直前の地図ですね。
昭和40年頃(詳細不明)銀座コアができる前。右下に三原橋地下街が書いてある。
昭和40年頃(詳細不明)銀座コアができる前。右下に三原橋地下街が書いてある。
宇井野
今の銀座コアの場所は小さなお店が軒を連ねていたのですね。こういういろんなお店の方々があづま稲荷を勧請したのでしょうねえ。
荻窪
菊廼舎は今でも銀座コアの中にお店を構えてますね。戦後が終わり、中央通りに近代的なビルが増えていく直前の様子がわかります。その過程で稲荷が勧請されたと思うと感慨深いものがありますよね。
宇井野
いなり探訪って昔の人の暮らしが綿々と続いていることを感じる街歩きなんですけど、このあづま稲荷は、自分にも身近な昭和に大きな節目としてるので、なんていうのかな、実感が湧くというか。
荻窪
たしかに、江戸時代は想像の世界だけど、昭和は自分たちが見てきた時代ですからね。平成生まれの人でも、高度成長期以降の話なら今でもリアルに聞けますし。
宇井野
かつて鎮座していたといわれる稲荷がどんなお稲荷様だったかというのも、気になるんですが、あづま稲荷は、現代のリアルな守り神、という感じがします。
荻窪
社殿もきちんとされて今日も通りすがりにお参りされている方がいっぱいいましたし。
宇井野
お仕事をリタイアされた後も、毎月、お一日に、お米とお塩をお供えにいらっしゃる方もあると聞いています。
この日もお塩とお米が備えられてました。
この日もお塩とお米が備えられてました。
宇井野
もう一つ、見ていただきたいのがこの幟。わかります?奉納者お一人ごとの染め抜きなんです!
荻窪
染め抜き?
宇井野
そう。幟って、神社の名前のところは、固定の染めの部分として、一度に何枚かを染めて作り、奉納者のところは、手書きで書き込むことが多いんです。というのも、印刷と同じで、もし、奉納者ごとに1枚1枚、版をつくって、染めて…となると
1枚1枚奉納者の名前も染め抜きされている幟
1枚1枚奉納者の名前も染め抜きされている幟
荻窪
確かに、よく見る幟は奉納者はマジックで手書きだったりするけど、ここは違いますね。手間もお値段も大変。
宇井野
そうなんです、すごく贅沢なものなんですよ。このご町内は、呉服屋さんが多いですからね。そういう街ならではのこだわりだと思います。
荻窪
八丁神社巡りの時には、参拝者に、日枝神社の神官がお浄めした御寳銭の5円玉がいただけると聞きました。
宇井野
まさに神様からいただくご縁。そうそう、ひとつ験担ぎのアドバイスを。ご縁は神様からいただいてこそ、なんです。人間から差し上げるものではないので、私はお賽銭に5円玉はいれません!
荻窪
なるほど。そんな宇井野さんはちなみにどの硬貨を?
宇井野
3桁の硬貨です。いいとこ見つけた(3桁)、の感謝を込めて!笑