銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第10回 銀座三越屋上の三囲神社と出世地蔵尊

何かを見守るには優しさだけでなく時に厳しさも必要となります。
人に優しい街、銀座ですがそれは厳しさの裏打ちがあってのことかもしれません。

銀座四丁目交差点にある銀座三越。この時勢、ライオン像も三越特製マスクをしてました。
銀座四丁目交差点にある銀座三越。
この時勢、ライオン像も三越特製マスクをしてました。
荻窪
銀座4丁目の交差点にきました。銀座といえば誰しも思い浮かべる場所ですね。銀座of銀座ってイメージです。
宇井野
銀座らしい風情といえばまずはここですからね。その4丁目交差点を代表する、銀座三越。今回はこちらにお邪魔しようと思ってます。
荻窪
デパートの屋上ですね。あれ? 今まで何度も訪問していながら気づかなかったのだけど、三越の入口に「銀座出世地蔵尊」とある。お地蔵様が祀られてるんでしょうか?
何気なく正面入口に「銀座出世地蔵尊」の案内が。「築地三十間堀より出世した」そうな。
何気なく正面入口に「銀座出世地蔵尊」の案内が。
「築地三十間堀より出世した」そうな。
宇井野
実はそうなんです。
荻窪
普通、お地蔵さまって辻や集落の入口にあるものですが、確かにこの交差点も古くからの辻ではあるんですけど、屋上というのがまたユニークですね。
宇井野
地蔵菩薩といえば、賽の河原で子供たちを救うという世にも優しい仏様。それが出世という堅い言葉と合体してます。ちょっとびっくりするでしょう?
荻窪
お地蔵様は身近であったが故に、その時代や地域に合わせていろんな願を掛けられたり、御利益があるとされたのですよねえ。お地蔵様によっては塩を塗られたり、おしろいを塗られたり、縄で縛られたりといろんなめにあっていて大変です。衝撃的なのは、中野区にある「願かけ地蔵」。大小2つのお地蔵様が並んでいて、願いを叶えたい人が白装束で小さいお地蔵様を倒して願をかけると大きなお地蔵様は倒れた地蔵を起こしたくて願いを聞き届けてあげる、叶ったら小さな地蔵を起こしてお礼するという風習があったそうです。びっくりですよね。
宇井野
それ、ものすごいシステムですね!地蔵菩薩の友情を利用して願いを叶える人間のゴリ押し・・・。
荻窪
と言ってる間に屋上に到着しました。デパートの屋上も昭和の頃の子供が遊ぶミニ遊園地から、くつろげる空間に変わりましたね。
銀座三越の屋上「テラスガーデン」。この日はあいにくの雨だったけど、奥に境内が見える。
銀座三越の屋上「テラスガーデン」。
この日はあいにくの雨だったけど、奥に境内が見える。
宇井野
奥の方に、お地蔵様と三囲神社が祀られています。三囲神社は三越さんが信仰していることで有名ですね。
一番奥に鎮座するのが三囲神社。中央が地蔵堂。そして大きな地蔵が本尊の分身。
一番奥に鎮座するのが三囲神社。中央が地蔵堂。そして大きな地蔵が本尊の分身。
荻窪
そうそう、三囲神社ってお稲荷さまなので、そういう意味では今回も「銀座いなり探訪」の名にふさわしいですよね。ちなみに「みめぐりじんじゃ」と読みます。最初は「みついじんじゃ」?「みいじんじゃ」?と思いがちですが、「みめぐり」と読んでください。
宇井野
三囲神社はどんな神社なのですか?
荻窪
場所は向島。浅草の待乳山から見てちょうど隅田川の対岸にある古いお稲荷さまで、江戸時代の浮世絵によく出てきます。
宇井野
名前が三井に似てますが、三越と関係あるのでしょうか。
荻窪
三越はもとは三井越後屋ですからね。でも神社自体はもっと古くて、創建は平安時代といわれてます。そして室町時代に近江にある三井寺(みいでら)の僧が神社を改築したとき、白狐にまたがる老翁の像の周りを白い狐が3回廻って消えた、そこから「三囲稲荷」の名がついたそうです。この時点では三井家とは関係ないのですが、江戸時代に三井家が江戸に進出したときのこと、三囲という名前が三井に似ている上に、「囲」の字が三井を守るように見えることもあり、江戸時代中期の享保年間に三井家の江戸の守護社と定めたのがきっかけだそうです。
宇井野
面白いお話だなあ。そして神社の名前が先だったのですね
荻窪
敷地内に三井邸から移した珍しい三角石鳥居や、閉店した池袋三越前に置かれていたライオン像がありますし、江戸時代に三井越後屋が納めた顔が可愛い垂れ目のキツネも必見です。
三井邸から移したという三角石鳥居。中央に井戸がある。
三井邸から移したという三角石鳥居。中央に井戸がある。
池袋三越前に鎮座していたライオン像も今は狛ライオン?として三囲神社を守っている。
池袋三越前に鎮座していたライオン像も
今は狛ライオン?として三囲神社を守っている。
江戸時代からこの表情で人々をなごませてきたきつね。越後屋が奉納したものだそう。
江戸時代からこの表情で人々をなごませてきたきつね。越後屋が奉納したものだそう。
宇井野
物語に出てくる頼もしい動物たち、ていう感じですねえ。大きなご商売をされているお店の守護神社の眷属様にしてはすごくほのぼのしてる。今度行ってみます。三井家の守護神だから三越にもあるのですね。
荻窪
でもその三囲神社の隣にあるお地蔵様も気になります。これが出世地蔵なのですよね。
宇井野
左にある大きなお地蔵様はご本尊のお姿から作られたもので、本尊はこちらのお厨子の奥におさめられてます。
出世地蔵尊。地蔵尊自体は右の地蔵堂に納められている。
出世地蔵尊。地蔵尊自体は右の地蔵堂に納められている。
荻窪
ご本尊が置かれたお堂に比べて、横のお地蔵様がすごく大きいのが気になります。表情も個性的ですし。レプリカというか、拡大複製みたいな?
宇井野
レプリカとも違って、イメージを具象化した分身といった方がいいようです。古い仏像が、土や水、年月を掻い潜ってきたのですし、銀座では関東大震災や空襲もありましたから、当然、ご本尊は形が失われたり削れてしまったところもあるのでしょう。それを新しい形として石から彫りだしたのでしょうね。
荻窪
そもそもこのお地蔵様のいわれは何なのでしょう。銀座4丁目の角に置かれていたとかでしょうか?
宇井野
明治の頃、三十間堀の護岸工事の際、掘から出てきたのがはじまりだそうです。それが銀座四丁目の空き地に安置され、関東大震災までは縁日も開催されていたそうです。
荻窪
明治の頃……お、明治の終わり頃の地図を見てみたら「出世地蔵」が書かれてます。地図に名前入りで書かれるほど信仰されていたのですね。
「時層地図 for iPad」(日本地図センター)より。上が明治時代終わり頃の、下がバブル期の地図。白い○が銀座四丁目の交差点。四角く囲ったところに出世地蔵と書いてある。
「時層地図 for iPad」(日本地図センター)より。
上が明治時代終わり頃の、下がバブル期の地図。白い○が銀座四丁目の交差点。
四角く囲ったところに出世地蔵と書いてある。
宇井野
本当ですね。三十間堀のすぐ脇、晴海通り沿いに出世地蔵が。
荻窪
いただいた出世地蔵尊の由来によると、昭和43年に銀座三越の全面改装に合わせて屋上に置かれたそうです。その時、”長い間、道ばたに置かれていた地蔵が「路上から大きな百貨店の屋上に上り詰めた」と言うことで、いつしか人々が「出世地蔵」と命名したという”とありますが、それより前から「出世地蔵」と呼ばれていたのですね。
宇井野
屋上に上り詰める前から出世地蔵だったとすると・・謎めいてきましたね。でも開運の力がお強いのだということはとてもよく伝わってきますね。
荻窪
中央区のホームページでは「掘り出されて世に出た」からという説も紹介されてました。
宇井野
地中から地上へ、さらに屋上へと出世したということなのでしょう。三越の入口にも「築地三十間堀より出世した」とありましたし。
荻窪
だから、地蔵堂の脇に置かれている大きな分身も笑顔なのでしょうか。
笑顔が印象的なお地蔵さま。
笑顔が印象的なお地蔵さま。
宇井野
この福々しい笑顔が周囲の空の広がりや芝生の緑などと相まって元気をくださる感じがしますね。私達の運気もぐんぐん上昇しそう。でも、そんな地蔵菩薩が、実は怖い閻魔大王なのだ、という独特の考えが日本にはありますよね。それはお地蔵様にしても閻魔大王にしても、よーーく私たちのことを見ているからこそ、の救いやお裁きをくださるから、と思いませんか?
荻窪
かつては路傍や村の入口で人々を、今は屋上という高いところから銀座の人々を見守ってると思うと、ここは今の時代に相応しい場所かも。
宇井野
この優しい出世地蔵もこの笑顔に甘えてばかりいたら、おっかないお叱りを受けることがあるかもしれませんよ。そんなことにならないように・・・
荻窪/宇井野
手を合わせてもう一度お詣りしましょう。