銀座いなり探訪

銀座いなり探訪

銀座いなり探訪 第14回 宝珠稲荷

銀座は日本橋や築地といった、食のネットワークに関わる場所が隣接しており、江戸時代から町人の街として賑ってきました。
市場の活気や職人のいなせな雰囲気はこの街にもそのエネルギーを運んでいるようです。

宇井野
荻窪さん、地口行灯ってご存じですか?
荻窪
あ。知ってます知ってます。千住宿にある吉田屋という江戸時代から絵馬や地口行灯を作っていた旧家が残っていて、9月の秋祭りの際にそこの地口行灯が飾られるんです。たまたま9月に千住を訪れたときに実物を見ました。確か四角い行灯でさらっと画と文字が書かれてました。実はその時千住の街歩きのガイドをしており、「これが地口行灯です」と簡単に説明しただけでじっくり読んだり写真撮ったりはできてないのです。
宇井野
ではわたしが写真をお見せしましょう。銀座の宝珠稲荷さんの地口行灯です。
荻窪
おお。わたしが見たのもこんな感じでした。べたなギャグが江戸っぽくていいですね。「わらう顔にはふぐきたる」とか。ちゃんとふぐが来てるし。
宇井野
お狐さんのもありました。
荻窪
元ネタは「義経八艘飛び」ですね。よしつねがおきつねに!
宇井野
この大喜利感が日本ならではの遊び、という感じでいいですよね。さて、今回お邪魔するのはこの宝珠稲荷さんです。
荻窪
宝珠稲荷さんははじめて聞くお名前です。
宇井野
まずは行ってみましょう。住所は銀座三丁目ですが、最寄り駅は東銀座になります。歌舞伎座の裏手のあたりですね。
荻窪
マガジンハウス社のお向かいですね。昔、マガジンハウスの仕事で何度か訪れたことありますが、ここに神社があるなんて気づきませんでした。
かつて木挽町だった場所にある宝珠稲荷神社。歌舞伎座の裏手あたり。
かつて木挽町だった場所にある宝珠稲荷神社。
歌舞伎座の裏手あたり。
宇井野
実はこちらの宝珠稲荷が銀座の秋の風物詩「八丁神社巡り」へ参加されるようになったのは比較的最近のことなのです。八丁神社巡りは日枝神社の氏子である銀座地域の稲荷社のイベントとしてはじまりましたから、鉄砲洲稲荷神社の管轄になる宝珠稲荷さんは別の地域という認識だったのかもしれません。昭和通りを超えますからね。昭和通りはもともと川だったんでしょう?
荻窪
実は昭和通りは川跡じゃないんすよー。昔の地図を見るとこのあたりは木挽町で、銀座とは違いますものね。昭和16年の京橋区の地図を持ってるので引っ張り出してみました。三十間堀を境に銀座三丁目と木挽町三丁目が分かれてますね。しかも、宝珠稲荷も今の場所にちゃんと書かれてます。
「京橋区詳細図」(日本統制地図)より、木挽町三丁目あたり。三十間堀と昭和通りの両方が描かれている上に、宝珠稲荷も今の場所に
「京橋区詳細図」(日本統制地図)より、
木挽町三丁目あたり。
三十間堀と昭和通りの両方が描かれている上に、
宝珠稲荷も今の場所に
宇井野
そうなんですね!ああ、三原橋のあった三十間堀跡は昭和通りより1本銀座側ですもんね。この地図だとよくわかります。宝珠稲荷がきちんと書かれているのは嬉しいですね。戦前から大事にされていたのがわかります。
荻窪
昭和通りは関東大震災後の復興道路として作られたもので、アンダーパスもあって広く掘り下げているので川跡っぽいんですよね。で、三十間堀から外側一帯が木挽町だったんです。江戸時代のはじめ、江戸城造営時に木挽き職人が居住したのが語源だそうです。木挽職人は樹木を挽いて角材などに製材する人のことですね。海沿いだったので運ばれてきた木材をここで加工して江戸城へ納入していたのではないでしょうか。宝珠稲荷はそこの神様だったのかしら?
宇井野
ご由緒を伺ってみると、もともとは、1615年頃、板倉氏の武家屋敷に火除の神として勧請されたものだったそうです。でも材木を扱う職人の街であれば、火伏はことのほか大事なご利益だったでしょうね。
荻窪
ちょっと江戸の古地図をひっぱりだして板倉家を探してみましょう。
1666年の江戸図を見ると、「板倉」の名前がありました。場所もちょうど三丁目あたりですね。今宝珠稲荷があるのは板倉家江戸屋敷の端あたりでしょうか。
寛文六年(1666)の江戸絵図を見ると、木挽町三丁目のあたりに板倉の名が。ここにあったのだろうか(『[江戸図寛文六年刊]』国立国会図書館デジタルコレクションより)
寛文六年(1666)の江戸絵図を見ると、
木挽町三丁目のあたりに板倉の名が。ここにあったのだろうか
(『[江戸図寛文六年刊]』国立国会図書館デジタルコレクションより)
宇井野
本当だ。最初はそこに鎮座していたのですね。
荻窪
由緒書きには、1760年に亀井家に譲渡され、大正時代に岡崎家に売却されたものの、その後神社と敷地が木挽町三丁目の氏子に寄進され、昭和25年に隣接地を買収して社殿と社務所を建設したとあります。今はギリギリまでビルに囲まれてますが、よく見ると立派な社殿ですよね。地域と共にある神社ならでは雰囲気。
宝珠稲荷神社の社務所(向かって左)と鳥居。奥に社殿が見える
宝珠稲荷神社の社務所(向かって左)と鳥居。
奥に社殿が見える
宝珠稲荷神社の社殿
宝珠稲荷神社の社殿
宇井野
境内がなんともいい雰囲気です。美丈夫な狛狐さんが迎えてくれますね。
荻窪
ほんとうだ。すごくカッコいい狐さんです。片方は珠を、片方は鍵を咥えてますね。商売繁盛の稲荷は蔵の鍵を咥えていることが多いそうです。そのあたり、町の鎮守さまとして護られてきた感じがしていいですね。
宝珠稲荷神社の拝殿前に置かれた狐の像。スリムで精悍な顔立ちで片方は珠、片方は鍵を咥えている。
宝珠稲荷神社の拝殿前に置かれた狐の像。
スリムで精悍な顔立ちで片方は珠、片方は鍵を咥えている。
宇井野
実は氏子と神社の結びつきを感じることができるお祭りが5月にあります。三年に一度ではありますが、鉄砲洲稲荷の例大祭に合わせて神輿と鳳輦の渡御があるんです。それぞれの町会の氏子さんが揃いの半纏をまとい、神輿と鳳輦をお迎えします。
荻窪
鉄砲洲稲荷は非常に古い神社ですものね。平安時代創建ですが、江戸時代になると海に近いということで航海の守り神として信仰されたそうです。場所は隅田川河口に近いので銀座からはちょっと離れますが。
八丁堀にある鉄砲洲稲荷神社
八丁堀にある鉄砲洲稲荷神社
宇井野
その例大祭の渡御のルートにこの宝珠稲荷さんもはいっているのです。もう、皆さんの半纏姿がカッコよくて!
荻窪
鉄砲洲稲荷から西へ向かい、かつての木挽町だったエリアをぐるっとぐるっと一周して帰っていくのですね。これは楽しみ。三十間堀は決して渡らないというところが当時の境界を感じさせてくれます。
銀座の中央通りから見ると昭和通りを超えちゃうのでちょっと遠く感じられますが、力強さを感じるお稲荷さんなのでぜひ足を伸ばしてみて欲しいですね。
宇井野
八丁神社巡りでも、「宝珠様、とても素敵な神社だった!」という感想をおっしゃる方が多いんです。美しい、かつ力強い、江戸風にいうと威勢がいい、になるのかな。アスリートの鮮やかな躍動を見るような魅力を感じるんです。お参りして私たちも元気をいただくとしましょう!