GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

石原 壽×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.3

石原 壽×高嶋 ちさ子

2011.12.01

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、銀座の重鎮、おでん屋「銀座 やす幸」二代目店主の石原壽さんです。

銀座には、品格や美しさを持ち続けてほしい。

高嶋さん
銀座の移り変わりをどうご覧になっていますか?
石原さん
戦後、お客様に女性が増えましたね。昔は女性といえば、いらっしゃるのはホステスさんとか芸者衆とかだったんだけど、この20年、普通のOLさんが来るのがいちばん変わったことかな。
高嶋さん
私の演奏会のお客様たちも女性が多いです。
これからは女性しか来ない時代になるかもしれませんね (笑)。
石原さん
戦争で、みんなバラバラになっちゃったけどね。そういえば、今は和光になっている服部時計店の時計台が焼けなかったことが記憶に鮮明に残っていますよ。昔はGHQの建物として使われていて、食べ物がそこへ運ばれたのがうらやましかったね。
高嶋さん
戦争中はやす幸さんはどうされていたのですか?
石原さん
ものがなければ、営業できないからね。そのときは、一旦休業していましたね。ものがない時代を経験しているから、今はみなさん豊かで恵まれているな、と思いますよ。
高嶋さん
確かに、そうですね。
最後に、銀座への思いを教えていただけますか。
石原さん
銀座の中でもね、銀座通りは品格、美しさが昔からありますね。
それを保ち続けてもらいたいと思います。我々は一本入ったところの路地裏の店、銀座通りを幹とした場合、枝葉のようなものです。やっぱり幹にはずっとしっかりしてもらわないとね。
高嶋さん
歩いている人にも品がありますものね。
石原さん
そう、かっこいい大人が歩く場所であってほしいです。綺麗な洋服来て歩けって言ってるんじゃないですよ。心が綺麗な人に歩いてもらいたいですね。
高嶋さん
やはり石原さんにとっては、銀座は特別な場所ですね。
石原さん
いい街だね、銀座は。他所から帰って銀座の灯を見るとホッとします。世界で一番ですよ!

次回のゲストは……?

高嶋さん
次回のゲストをご紹介いただけますか?
石原さん
明治10年創業、和装履物店「銀座 与板屋」の5代目 代表取締役社長 原 信司さんです。
新年1回目のゲストとしてピッタリだと思いますよ。

高嶋 ちさ子

ヴァイオリニスト。6歳からヴァイオリンを始め、海外で活躍後、日本に本拠地を移し、全国各地でコンサートを行っている。現在は、演奏活動を中心としながらも、テレビやラジオ番組の出演などでそのキャラクターが評価され、活動の場はさらに広がりを見せている。

高嶋ちさ子オフィシャルウェブサイト

石原 壽

創業78年になる老舗おでん屋「銀座 やす幸」の二代目店主。
1930年東京深川生まれ、銀座育ち。
戦前からの銀座を知る銀座界の重鎮で、銀座人から一目置かれている存在。

「銀座 やす幸」ウェブサイト

取材・文: 高橋瑞穂 取材場所:銀座 やす幸

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