GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

岡副 徳子×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.6

岡副 徳子×高嶋 ちさ子

2012.03.07

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、大正時代に創業した老舗料亭「金田中」の若女将、岡副徳子さんです。

嫁いで最初の5年間は何をすればいいかわからなかった。

高嶋さん
ちょうどデビューする頃、お店に伺ったことがあるんですよ。
でもお店の名前がよくわからなくて、「キンタナカ」だと思っていました(笑)。
岡副さん
そうですよね。みなさん大体難しい読み方をされるんです。「キンデンチュウ」とか(笑)。
高嶋さん
「金田中」というお店の名前にはどのような由来があるのですか?
岡副さん
田中屋さんという大きな料亭があったんですが、そこで仲居頭をしていた金子さんという方が分け看板として出したお店が「金田中」という名前になったんです。
高嶋さん
ほかにも何軒かお店を出店されていらっしゃいますよね。
岡副さん
祖父が三重県の出身でして、松坂牛を使った「岡半」というお店が並木通り沿いにあります。
高嶋さん
すごく興味があります。肉食系なものですから(笑)。ランチもやっていらっしゃるのですか?
岡副さん
ええ、とってもお得ですよ。あとは、カウンターの「金田中 庵」が同じビルに入っていて、渋谷のセルリアンタワーに「数寄屋 金田中」があります。
高嶋さん
ケータリングもやっていらっしゃるそうですね。
岡副さん
そうなんです。外資系ブランドの方がパーティをされるときによく依頼を受けますが、とても喜んでいただいています。こういう新しい事は、全て主人の発案ですね。
高嶋さん
アイディアマンですね。
岡副さん
時代の変化に合わせて、いろいろな業態のお店をやっていきたいと思っているようです。
高嶋さん
女将さんのお仕事というのは、嫁いでからお勉強されたんですか?
岡副さん
そうです。何にも知らずに結婚したので、とまどうことが多かったですね。
高嶋さん
苦労したことはありましたか?
岡副さん
苦労したというより、何をすればいいかわからなかったですね。
最初は母の後ろについて挨拶をしていただけなんですが、お客様が立派な方たちばかりなので、何をお話すればいいのかわからなかったんです。マニュアルはないので見て覚えるという感じでしたし。5年くらいは何もしてなかったと思います。
高嶋さん
そのうちなじんでこられて……。
岡副さん
そうですね。主人と一緒に出した「金田中 庵」をやったことで、手ごたえを感じてきました。大変ですがやりがいのあるお仕事だなって思えるようになりましたね。

竹庭を望む36畳の「竹の間」

金田中のお料理の一品「鯛のお造り」

料亭、お茶屋、置屋で構成されるのが花柳界です。

高嶋さん
お店のあるこの辺りは、普通の人にとってはあまりなじみのない場所ですよね。
岡副さん
そうかもしれませんね。私も結婚する前はそうでした。
この辺りは、新橋の花柳界と呼ばれる所で、今から150年ほど昔の安政4年にできたそうです。
高嶋さん
花柳界とはどういった所なのですか?
岡副さん
料亭、お茶屋さん、置屋さん(芸者の抱元)の3つで構成されているのが、花柳界ですね。料亭は置屋さんに電話して芸者さんを呼び、お座敷に来ていただくんです。
高嶋さん
今もその構成は変わらないのですか?
岡副さん
今はもうほとんどお茶屋さんがなくなってしまって、大きな料亭ばかりになっていますね。お茶屋さんというのは料亭よりももっと気軽な場所で、お食事を召し上がらず、つまみとお酒で芸者さんを呼べるところなんです。
高嶋さん
今は芸者さんを呼ばれる方というのは少なくなりましたか?
岡副さん
会社のご接待でいらっしゃる方が多いのでそういうイメージがあると思うんですけど、芸者さんを呼んでちょっと小唄を歌おうかという粋な旦那衆もいらっしゃいますよ。

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