GINZA CONNECTIVE (高嶋ちさ子対談シリーズ)

湯木 俊治×高嶋 ちさ子

GINZA CONNECTIVE VOL.65

湯木 俊治×高嶋 ちさ子

2017.04.03

バイオリニストの高嶋ちさ子さんと、銀座人たちの対談シリーズ。高嶋さんにとって銀座は、仕事でもプライベートでも思い入れのある街。そんな高嶋さんがゲストの方に、銀座のあれこれをディープに聞いていただきます。今回のゲストは、日本を代表する高級料亭「東京𠮷兆」の代表取締役社長 湯木俊治さんです。

寸法や器との取り合わせにも気を配る、目にも麗しい日本料理を

高嶋さん
𠮷兆グループの1社である「東京𠮷兆」の歴史をお聞かせください。
湯木さん
昭和5年に祖父 湯木貞一が大阪で「𠮷兆」を創業しました。その東京店として昭和36年に両親が上京し、東銀座に出店したのが「東京𠮷兆」の始まりです。それが今の「東京𠮷兆本店」で、その後、「帝国ホテル店」、「ホテル西洋銀座店」、新宿伊勢丹本店にある「正月屋𠮷兆」、「歌舞伎座店」の順に出店していきました。
そして平成25年5月31日に、「ホテル西洋銀座」の閉館とともに「ホテル西洋銀座店」は幕を下ろしたのですが、昨年10月の「Okura House」オープンのタイミングで、“銀座アゲイン”というキャッチフレーズを掲げ「銀座𠮷兆」として銀座に戻ってまいりました。
高嶋さん
そうなんですね。実は私、結婚式のお料理を担当してくださったのが「ホテル西洋銀座」だったんですが、主人の実家が酒屋なので、そこの日本酒に合うものもメニューに組み入れたくて、𠮷兆さんの手まり寿司をお願いしたことがあるんです。それが本当に素晴らしかった想い出があります。
𠮷兆さんといえば、やはり日本料理の歴史に大きな影響を与えてきたわけですが、料理に対してどのような思い入れをお持ちですか?
湯木さん
特別なことはなにもしていません。結局、素材の持ち味をいかに引き出すか、ということが日本料理の真髄ですから。常に気遣っているところといえば、ひとつは口に入る寸法でしょうか。大きさによって食感が変わるので、一番おいしくいただける寸法には気を遣っていますね。
もうひとつは、彩りです。料理は舌だけでなく目でも味わってこそ美味しさが増しますから、料理自体の彩りはもちろん、器との取り合わせにも留意しています。そういう意味では、季節感も重視していますね。たとえば夏になればクリスタルガラスや蓮の葉を使って涼しげな雰囲気を演出したりします。
高嶋さん
(𠮷兆の料理が並ぶ本を見ながら)確かに、𠮷兆さんの料理は食べるのがもったいないほど芸術的な美しさですよね。私なんか、お料理を作っても「鍋からそのまま食べて」って言いたいくらいですもん(笑)。こういったアイデアは代々受け継がれてきたものですか?
湯木さん
祖父のアイデアもあれば、うちのスタッフたちが出し合って生まれてきたアイデアを採用することもありますね。スタッフもすべてうちで育てた人間しかいないので、その中で皆、切磋琢磨しながら腕を磨いています。

3年ぶりに銀座へ戻ってきた「銀座𠮷兆」は和モダンに

高嶋さん
先ほどのお話にも出ましたが、こちらの「銀座𠮷兆」さんは昨年10月に3年ぶりに銀座へ戻ってきたとのこと。再び銀座に店舗を構えて、数カ月が経ちましたが、いかがですが?
湯木さん
再び東京の中心の街、銀座に戻ってこられたということで身震いがしますね。
高嶋さん
𠮷兆さんでも、銀座という街に出店されるのはそれほど特別なものなんですね。「ホテル西洋銀座店」はホテルの地下に隠れ家的にあって、かなり敷居が高かった印象なのですが、こちらは同じビルにパンケーキ屋さんやサロンが入っていたり、お店のムードも“ハイカラ”な感じになりましたよね。お客さんの層も少し変わったのでは?
湯木さん
そうですね。以前は外にサインも出ていませんでしたからね。今は、上階にある「KAKIMOTO ARMS」さんからお帰りの方が、ここに𠮷兆があるんだと気づいて立ち寄ってくださったりもしますね。
高嶋さん
より訪れやすくなったわけですね。お店のコンセプトは?
湯木さん
“和モダン”のゆとりある空間をめざしました。大きく分けてお部屋が5つあるんですが、部屋ごとにしつらえを変えています。たとえば、今お話しているこの部屋は、床の間の台に石を用いてモダンなデザインを採用しつつ、天井には金蒔絵を施して華やかな雰囲気に仕上げました。また、店内のBGMには、新たな試みとして波動スピーカー「エムズシステム」を導入しました。自然の音に包まれているような心地いい気分の中で食事を楽しんでいただきたいですね。 料理についても、𠮷兆の伝統を投影した“定番”と新たな趣向を加えた“驚き”を堪能していただきたいと思っています。

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